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チョットいいこと 92

みんなで泣いた
難民2世の苦しみを知って
近況報告
ベトナムの芸術大学雅楽科
ベトナムの試練
結婚おめでとう
お礼とお願い
御礼
主の平安
かんちゃん日記
チョットひとこと



みんなで泣いた
グエン・トラン・フォク・アン君(15)

 姫路市立東光中学校の野球部エース、三番バッターとして活躍した。県大会 選では、惜しくも決勝で敗れた。その時の悔しさは今も忘れない。
 「負けたあとの閉会式では、みんな涙をこらえながらも笑おうと話した。ほんと はみんな泣いてたけど」。既に野球部は引退した、たまに練習に参加し、後輩の指 導に当たる。同部監督勝目哲哉教諭(40)はアン君を「野球に打ち込む、まっすぐな 子」という。勝目教諭によると、ベトナム国籍を持つ生徒らは日本で生まれながら、 偏見を受けたり、さまざまな問題を抱え不登校になる子もいるという。
   小5の夏、アン君は友達に誘われて少年野球チームに入った。以来「うまくなり たい」と、練習にはげんできた。中学で野球部に入り、ランニン グや基本練習に耐えた。2年になった4月にはファーストのレ ギュラーポジションを取り、控えのピッチヤーに。夏には、副 キャプテンになり、エースピッチャーとして頭角を現した。
 県大会に進めなかったことが、これまでで一番悔しかった。 6点差がついた6回から登板し、最後の2回を無失点に抑えた が、夢は実現できなかった。アン君は高校に進んでも野球を続 ける。
 「姫路の大会で5日間連続でプレーした次の日も、アン君だけは学校に来て練習 していた。高枚では必ず伸びるだろう」と、勝目監督は期待をかける。
(神戸新聞)


難民2世の苦しみ知って
ベトナム人のソン神父が会議で訴え

 約20年前に日本へ来たベトナム難民の子供たちは、いじめや就職差別などに遭っている。 川崎市のカトリック司祭のファム・ディン・ソンさん(37)が、このほど東京で開かれた 国際会議で、こうした難民二世たちの苦悩を訴えた。
(田中 健次郎)
ベトナム難民2世の将来を心配する
ソン神父(右)。最近開いた料理店も
手伝う=東京都大田区蒲田で
   
 ソンさんは難民として来日して19年になる。1994年に横浜教区司祭となり、 静岡、神戸と米国で活動した。1年前から川崎市幸区の鹿島田教会の司祭  をつとめている。9月16日に東京で開かれた日本カトリック国際協力委員会主催の 「難民・移住者フォーラム」で、ベトナム難民二世たちの苦悩をこう訴えた。
 「日本に来たベトナム難民は約八千人といわれるが、日本で生まれた二世のほと んどは、日本の学校に通い、日本語の授業を受け、『日本人』として生活を続けて いる。ベトナム人としての名前を持ちながら、学校でいじめを受けないように、日 本名に変えていることが少なくない。ベトナム人とわからないように、学校の参観 日に親を呼ばない子もいる。『ベトナムに帰れ』と言われても、もう帰れない」
 「日本国籍を取得するのにも、膨大な書類をそろえる必要があり、その煩雑さのた めに無国籍という子どもも多い。海外へ修学旅行へパスポートを取得できなくて一 人だけ行けなかった二世もいた」
  故国から船で脱出
 ソンさんはベトナムのサイゴン市(現ホーチミン市)近郊で生まれた。父が旧南 ベトナム政府の軍人だったので、自分も軍人になるつもりだった。十一歳の時サイ ゴンが陥落し、ベトナム全土が社会主義国家となった。八一年、十七歳になった時 に「ボート・ピープル」になった。定員七人の舟に七十三人が乗り、途中エンジン が壊れ、燃料もなくなり、一週間漂流した。タンカーに救われ、フィリピンに上陸した。 一年後に長崎県大村市のレセプションセンターに移された。
 その後、姫路、横浜と過ごし、会社勤めもした。その時交通事故に遭って入院し たが、会社からそれまでの給料も支給されず、裏切られた気持ちで「自分くらい不 幸な者はいない」と落ち込んだ。しかし、毎日友人が見舞いに来てくれた。それを 見た同室の日本人が「ソン君は幸せだな、毎日見舞いがあって」
  日本名使う子ども
 不幸と思っていた自分が幸せ者といわれたことで、ソンさんは奮い立った。 知り合いの神父に、「僕も神父になりたい」と打ち明けた。 その後、上智大学神学部に進み、六年前に横浜教区の司祭に任命された。
 難民の二世たちが、日本語の名前を使っていることに気づいたのは九十五年、阪 神大震災直後の神戸に横浜教区から派遣された時だった。「日本に帰化したの」と 聞くと、「いや」という。「ベトナム人なのにどうして日本語の名前ににしている の」と聞くと、「そうしないといじめられるから。学校の先生からもそうするよう に勧められた」と答えた。びっくりして、「自分をどこの国の人間だと思っている の」と聞くと、「日本人」。「なぜ」と開くと、「だって、ベトナムのことわから ないもの」と答えた。
  日本が「ふるさと」
 ソンさんは子どもの時に日本に来たので、自分を「一・五世」と呼ぶが、ベ トナム人としての自覚が異なる二世たちの行動に衝撃を受けた。彼らにとって は日本が「ふるさと」であり、日本の友達を失うことをとても恐れていた。「お 父さん、お母さんはベトナム人だが、僕は日本人だ。」とも話した。親が話すベ トナム語が話せない世代になっていた。
 川崎市の教会に赴任してからも、就職差別についての訴えを受けた。 日本名で日本国籍を取った男子学生が、親が日本人でないとわかって面接で落とされたという。 「二世たちに何の罪があるのか」とソンさんは言う。 乗り越えられる子どもはいいが、そうでない子どもは非行に走り兼ねない」と心配する。
 七月中旬、ソンさんたちは、「二世たちにも、ベトナム人としての自覚を持っ て欲しい」と、東京大田区のJR蒲田駅近くにベトナム料理店「くぅえ とい」 を開いた。ベトナム語で「ふるさと」という意味だ。午後はソンさんも手伝う が、週末になると、周辺から二世を含め、在日の若いベトナム人も集まってき て、調理を手伝い、にぎやかになる。売上は諸経費を除いて、故国で勉学の機 会に恵まれない子どもたちに送られる。 
(朝日新聞)


近況報告

 10月にはウレシイことがありました。9月の末ごろにあるベトナム人の男性の 相談がありました。貸家は解約したが、保証金は1円も戻らなくて、逆に3万円 を請求された通りに払ったと言うのです。家主が彼の敷金と3万円は借りた家の修理費に 使ってもまだ足りないし、大分負けたのでありがたいと思いな さいと言われたようです。修理の明細書を見ると、調査打合費・修理のゴミ処 分や全室のクリーニング費や便器の脱着代等のような項目は、ものが分らない 私でも納得ゆかず、彼とお世話になった不動産屋さんへ一緒に行きました。
 不動産屋さんは最初はこういうことはおかしい事だと、一生懸命家主に話してくれた結果、 いくらか返してくれると言うことで、家主の家に行く事になりました。 すると、家主はなんと、3万円だけ返すと言い出しました。 戻る金額は20万円ぐらいあったので彼は勿論大反対でした。再び不動産屋 にもどって話そうと思ったら、不動産屋の態度はガラッと変わりました。自分 は物件を紹介して、手続料をもらうだけで(このようなトラブルには)関係な いと言い出して、私たちを追い出しました。
 やっぱり諦めるわけにいきませんので、いろいろ相談してみたら、最初は家 主さんに内容証明書を出して、効果がなかったら小額裁判に訴えることにしま した。内容証明書を出してから一週間後に意外ないい結果になりました。彼(相 談者)の通帳に請求した金額が入ったとの電話がありました。家主さんはやや こしくなるのはイヤだから払ったのそうです。
 残念ながら、彼のような相談はKFCに多く届いていません。言葉・法律は分 らないし、めんどうくさいとかの理由で、納得のいかないことがあっても、簡 単に諦めてしまいます。このような例も簡単に解決できることもあることをも っと知ってほしいですね!
(ハ・ティ・タン・ガ)


ベトナムの芸術大雅楽科
2つの卒業式

  ベトナムの宮廷音楽「ニャーニャック(雅楽)」を再生・保存しようと、同国 中部の大学に日本の支援で誕生した雅楽科が28日、第1期の卒業生を出し、11 人が巣立った。これを機に、4年間にわたって生徒を指導した講師陣最長老の 元宮廷楽士、グエン・ケーさん(82)は引退を決意。文化伝承を手助けしてきた日 本の専門家らも出席し、「世代交代」を温かく見守った。(ベトナム中部フエで 渡部 惠子、写真も)

 ベトナム最後の王朝、阮(グェン)朝王宮跡地にあるフエ芸術大学雅楽科の 卒業式。22〜27歳の、民族衣装姿の卒業生らが舞台で雅楽演奏を披露し、ケーさん ら教授陣がまな弟子たちを祝福、笑顔で送り出した。在ベトナム日本大使館の 高橋邦夫公使も、ハノイから駆けつけた。
 ケーさんは、最後の皇帝パオダイ(在位1925−45年)に仕えた宮廷楽士。 その経験を買われ、もう1人の元楽士とともに雅楽科の特別教師に招かれた。 ケーさんによれば、約20人いた宮廷楽士の多くはベトナム戦争で散り散りになり、 消息のわかっていた人たちも、高齢を迎えてほとんど死亡した。 「私の願いは自分の知識を後代に伝えること。全精力を指導に注いだし、 学生もよくやった。だが私はもう年だ」と語るケーさんは、 大役を果たしてほっとした表情。新学期からは教壇に立たないという。
 45年8月、フエでのベトミン(ベトナム独立同盟)ほう起により、約1世紀 半の歴史に幕を下ろした阮朝。その後、民間で細々と伝えられた「ニャーニャ ック」が世に知られる機会となったのは、94年にフエで開催された国連教育・ 科学・文化機関(ユネスコ)主催の無形文化財保護国際会議。各国の専門家が、 16、17世紀ごろ中国からベトナムに伝わったとされる雅楽保存の必要性を訴え トヨタ財団の助成を受けて研究に着手した。
 研究にかかわった徳丸吉彦・お茶の水女子大教授(音楽学)、山口 修・大 阪大学教授(同)、白石昌也・早稲田大学教授(ベトナム政治・文化)ら日本の 専門家グループは、さらに一歩踏み込み、伝統を継承する公的制度を作るのが 急務と考え、大学側などに雅楽科設置を強く働きかけた。この結果、日本の国 際交流基金アジアが95年から5年間、雅楽・教材購入などに13万ドル(約1,400 万円)を助成。また、日本のみちのく銀行も支援の手を差し伸べた。日本政府 の援助は終了することになるが、今後ベトナム側が独自予算で学科を存続させ る。
フエの王宮跡。この一角にフエ芸術大がある
   徳丸教投らは、これまで年に1回は雅楽科を訪れ、学生に特別講義を実施。 古文書館などに眠る漢字まじりの楽譜の読み方などを指導した。こうした交流 の中から、新たな発見もあった。専門家グループの一人で、沖縄の音楽に詳し い寺内直子・神戸大助教授は「ベトナムの雅楽の曲名に、沖縄の雅楽にあたる 『坐学』と同じものが見つかった」という。宮廷音楽は沖縄でも、太平洋戦争 末期の戦災で楽器や資料が散逸。現在では、「幻の音楽」となっている。寺内教 授は「今後ベトナムの雅楽と周辺諸国の雅楽との比較研究が進めば、 雅楽の解明も進むだろう」と話す。
 ベトナムは、日本や朝鮮半島などとともに中国起源の伝統文化 を共有する。徳丸教授は卒業生への祝辞で、「ベトナムだけの財 産ではなく、世界の財産。それを世界に広めて欲しい」と激励し た。卒業生は、入学当時こそ初めて雅楽を学んだが、もともと音 楽専門高校の出身者ばかり。今では市内の行事などで演奏のアル バイトをする者も多く、“プロ級”の腕前に成長した。
 伝統音楽継承へ、日越両国の期待を背負った若き楽士たち。卒 業生には、現在修復中の宮廷劇場専属演奏家の道も用意されている。ケーさん らとの記念写真撮影に熱中していた第一期生の女性楽士、ダン・ティ・クイン・ ガーさん(22)は「大学に残って研究を深め、将来はもっと若い世代にも雅楽を教 えていきたい」と誇らしげに語った。
(読売新聞)


ベトナムの試練
市民の交通手段は自転車からオートバイに移ってきている。(ハノイで)

  4月で「ベトナム戦争」終結から25周年を迎えるベトナムの経済が、大きな 壁に直面している。対外開放を柱とするドイモイ(刷新)政策を導入した直後 の高い成長力は勢いが衰え、アジア経済危機の余波もあって海外からの「投資」 ブームも熱が冷え切っている。経済の再生には、国営企業改革や証券市場整備 などの改造改革が急務だ。多くの課題を抱えた経済の現状と、21世紀に向けた 新しい取り組みのみを報告する。(ハノイで、浦崎 直樹、写真も)
 街は、オートバイ天国だ。けたたましくクラクションを鳴らし、土煙を上げ ながら、多くのバイクがジグザグ走行で駆け抜ける。ベトナムの一人当たり国 内生産(GDP)は300ドル強と、タイやインドネシアなど東南アジア諸国連合 (ASEAN)主要国の三分の一以下で、庶民に自動車を買う余裕もないが、バイク ならば何とか資金を調達できることから数は増える一方だ。
 公務員のホアン・ミン・タンさん(27)も最近、2,200ドルを現金で払い、本田 技研工業が現地生産している110CCのバイク「フューチャー」の新車を手に入 れた。ホアンさんはバイクでの“快適通勤”に満足そうだ。バイクの好調な売 れ行きを追い風に、本田マフラーなどの部品を納めている日本との合弁企業の ゴーシ・タングロン・オート・パーツは、97年の設立から3年で黒字になった。 ポー・リン・サム副社長は「99年は年間13万本だったマフラーの生産が、今 年は24万本に増えそうだ」と、そろばんをはじく。
 だが景気が良いのは一部の外資との合弁企業などに限られている。国営企業の 99年の業績は、プラスチック産業が15%の減益になるなど軒並み悪化した。 財政省によると、外国資本が投資した事業も、72%赤字だ。資本力も経営 ノウハウもない現地企業との合弁に、外国企業の不満も募っている。 また、八千万人弱という人口の割には国内市場の購買力が小さいことや、 官僚主義的な事務手続きなども事業拡大の妨げになっている。
 三菱商事と西友は昨年10月、外資としては初のスーパーマーケットをハノイ 市南部にオープンしたが、「長い交渉の末にやっと直接商品を輸入する権利を得 ることができたのは開店から5ケ月たった今年3月になってから」(現地法人の 荒川研社長)だった。他の外国企業にとっても、世界の経済情勢が刻々と変わ る中で、いつ下りるか分らない許可を待つには限界がある。
 86年末から始まったドイモイ政策は、市場原理の導入や対外経済開放、 重工業重視政策の見直しなどを挙げ、硬直的な社会主義体制が招いた経済不振の打破を目指してきた。 当初はそれが効を奏し、90年代前半には日本の商社などによる「ベトナム投資ブーム」に沸いた。 しかし、バブルの崩壊やアジアの経済危機で、主要投資国である日本や韓国の企業は余力を失ってしまった。 欧米企業にとっても、新規投資先としては、資本主義の国であり、 かつ通貨価値も切り下がったタイやインドネシアの方が魅力的に映る。 99年の海外からの投資認可額はピーク時(96年)の二割強まで落ち込んだ。
 ベトナム中央経済管理研究院のエコノミスト、レー・ソン・バ副院長は「99 年まで4年間にわたわてきた経済成長率は、2000年には6%程度と前年を上回 る」と予測するが、農業生産の回復や、原油高による輸出額の増加に支えられ たもので足腰は不安定だ。ハノイで10.3%(99年)に達する都市部の高い失業率 も、急速な改善は難しいと見られる。
 世界銀行は、昨年12月のベトナム支援国会議で、べトナムの経済改革が周辺 諸国に比べて遅れていることを非難した。持続的な経済成長を続けるには、国 営企業の改革や制度的なインフラの整備などを急がなければならない。75年4 月のサイゴン陥落から四半世紀たったべトナムは、ドイモイ政策の再点検を迫 られている。
(読売新聞)


結婚おめでとう
このたび結婚いたしました。
二人で新しい人生をスタートします。

 ベトナムを離れて18年になります。
お父さん、お母さんは言葉も分からない異国、日本で私たちの ために一生懸命仕事をし、私たちを教育してくれました。 お父さん、お母さんの苦労ははかり知れないものだったと思います。 そんな両親を誇りに思い、尊敬しています。
 私は日本の言葉や文化を身につけ、ベトナムの言葉や誇りを忘れ、 そして時にお父さんお母さんと気持ちが通じ合えないことがしばしば ありました。そして、いろいろと迷惑をかけお母さんを何度も泣かせて きました。そんな私ももう25歳となりました。
 今は看護婦という仕事に誇りを持ち、毎日楽しく仕事をしています。 そしてこんな素敵なダンナさんとめぐり合うことができました。 これからはこの人と幸せな家庭を作り、ベトナム人の心を忘れずにいたい と思います。
 お父さん、お母さん25年間お世話になりました。そして、これからも 温かく見守って下さい。いつまでも仲の良い二人でいて下さい。
グエン・ティ・マイ・リン


お礼とお願い

 私はビエン・ミン・ヒエンと申します。現在まで5年間、育英工業高等専門学校に (電気工学科)在学し3月に卒業することになりました。ここまでこられましたのは 学校、先生方、皆様、特に聖心の布教姉妹会烏山修道院のシスターたちを始め 高橋千枝子様、竹内幸恵様、柴田美子様、濃泉 昌様方のお蔭と“チョットいいこと” をおかりして御礼を申し上げます。
 本当に心から感謝しております。4月からは東京理科大学(経営工学部)3年生 に編入することができまして大変嬉しく思っております。あと2年間、大学で一生懸命 頑張ります。今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。


御礼  (暁星国際高等学校卒業)

 お寒い日々がまだ続くと思いますが、ご機嫌いかがでいらっしやいま すか。 この機会に今まで私のために学費を援助してくださいました方々に心から感謝申し上げます。 お陰さまで暁星国際高等学校を卒業することができました。
 この3年間、いろいろなことを学びました。 思いやりや助け合うこと、 楽しかった思い出と本当に有意義な生活を送ることができました。有り難うございました。
 これからも将来に向かって前向きに頑張って生きたいと思います。今後とも 皆様のお祈りと共にお心の中に私を忘れることなくお留めいただけますことを お願い申し上げます。
グエン・ティ・キム・クック


十 主の平安
 

 このたびは、暖かいお心こもったメッセージと「チョットいいこと」のコピー、 「海を越えてきた仲間たち」の本をありがとうございました。  私と子どもたち(高校1年と3年の男の子)とで読ませていただきます。
 「チョトいいこと」については、一つひとつのお話が、心こめて書かれて いて、大変感動しています。私たちの知らない、インドシナの国々、人々の思 い、…。心に思いえがきながら、ゆっくり数回読んでいます。子どもたちと「ど う思う?」と感想を話しています。
 私たち日本人は、豊な生活をしているのに、心が疲れています。変に作りあ げられた価値観、情報に左右され、秩序がだんだんこわれていっています。一 生懸命生きようとするインドシナ難民のみなさまの心、生活を受けとめる心が なく、自分たちの事でいっぱいです。申しわけなく思っています。(悲しい現で す。)
 「チョットいいこと」のみなさまの一生懸命な姿、こころざしは、心の発見 になり、見えなかったものに気づかされ、人としての本当の生きる姿、大切さ を感じさせてくれます。
 昨年の6月ごろから、アジアブームで“アジアンティスト”と名づけられ、 雑誌などで東南アジアの国々の観光地、料理、雑誌が紹介され、7月ごろか らは、お店で、料理、品物を見かけるようになりました。身近な韓国、 中国に東南アジアの国々……ベトナム、インドシナ、タイが加わり、アジアが大き く広がってきました。ちょっとづつ違うそれぞれの文化に新しい発見と親しみ がでてきました。これから心の交流......人々の暖かなやさしい思いやりが伝 わり、心の対話ができるようになるといいですね。
 すべての人々に喜びと平安がありますように。  
 (A.K)


かんちゃん日記
 
 とうとう21世紀になった。そして震災6年がたった。神戸の人口は震災前の98%に なったらしい。なのに長田の人口は8割しか戻っていない。復興なんてまだ言えない。し わ寄せはいっも弱いところへということか。社会的にはさまざまに弱い立場の人たちが多い町、長田。
 でも立場なんかに負けてへん。人間的に逞しくてパワフルな人たちが多い。 そんな長田が好きや。それでも......21世紀には強くなってゆかなければ。 たかとりコミュニティセンターはそんな長田のNPOでありたいです。


チョットひとこと

 雪とセンター試験には何か関係があるの?と聞いてみたくなるのが1月下旬の 気候です。そして、心配な空模様の下で2月に入ると多くの所で入学試験が行 われるのも日本の現状です。新年度がもう少し遅くはじまるようになればと考え る方もあるのではないかと思ったりします。今年もお祝いと励ましの時期を迎え ました。就職、入学、卒業など決まった方々おめでとう!これからが大事な時で すね。今からいろいろと準備を殆められる方々も自分の精一杯出せるように陰な がら願っています。
 皆が試験しているように、最近は今まで以上に情報の量が多く、同時に速く伝 えられるようになりました。それ自体よいことだと思いますが、例えばテレビの ように秒刻みの画像を通して得た知識は、頭の中で総括的にまとめて他の知識と 関連性を築いていくためには結構時間もかかり、正しく把握することは難しいよ うに思います。断片的に浅く広く情報を得て、友達と話す時の話題にこまらない ようにするためには、都合の良い手段かも知れません。ある時は楽しんでリラッ クスするのも大賛成です。また、災害などに関する必要な情報とか世界の動きを 知ること、学問的な研究のために機械の力がどんなに役立っているかは説明する までもありません。しかし、予測しなかったような事故の可能性を秘めています し、環境や人の心に害をもたらすこともあり、考えることが限りなく残されてい るのに気付きます。
 人間は、一人一人個性も能力も違うので「自己実現」を!と考えるのは正しい と思いますが、社会生活を営むために皆がどこまで共通項を大事にしなければな らないのか、機械を通してだけなく、顔を合わせての対話と理解、そしてモラル に至るまでの問題を抱えています。これからの実力主義社会では、人格を支える 精神的な力と豊かさがこれまで以上に問われてくると思います。多分経済的な面 では格差が激しくなり、相互が高めあうために切磋琢磨することに意義があった としても競争に入りたくない人との隙間を良い意味で埋めようとする心の広さが 必要になってくるのではないでしょうか。どんな仕事をしていても友達と一緒に 幸せになろうとすろ一人一人でありたいと思います。

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