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チョットいいこと 91

日本にピアノ留学       
ベトナムの学校訪問         
2000年ーお正月の集い
ベトナム夏期研修旅行に参加して 
ベトナム夏期研修旅行を終えて
ベトナム最高         
チョットひとこと



日本にピアノ留学
世界的ピアニストを目指す
昨年のコンクールで演奏を披露するフォンさん

  日本の高校生ピアノコンクールで優勝したベトナム・ハノイ国立音楽院付属高校4年ニュエン・ホア ン・フォンさん(17)が、高崎芸術短大(群馬県吉井町)に10月から留学することになった。 ベトナム戦争からの復興は著しいとはいえ、文化面で、ベトナムの環境はまだまだ整っておらず、 「生まれながらの才能を日本で伸ばし、世界的なピアニストに」と、周囲は期待している。
 フォンさんは、11月に同短大が開いた「第8回高杖生国際芸術コンクール」(文部省、読売新聞社など後援) のピアノの部で優勝。ロシア、中国など11ケ国から61人が参加した中で、フォンさんは、 ショパンの「スケルツォ第二番」を弾き、紡ぎだすような滑らかな演奏が高い評価を受けた。 その後、東京カザルスホールでデビューコンサートも開いている。
 そうした中、尺八の大師範で、クラシック音楽にも精通する同短大の小池大哲学長 が「演奏力は郡を抜いていた。非常に練習熱心な姿勢はうちの学生にも伝わる」とフ ォンさんの才能と音楽へのひたむきさにほれ込み、6月にベトナムを訪ねて留学を促 した。
 同国では、コンサートホールなどの演奏施設はもちろん、今もピアノなどの楽器が 不足している。そんな中でフォンさんは、ピアノ教師の母親に6歳から指導され、同 音楽院ではトラン・ハー院長に師事している。留学は1年で、ピアニスト中村紘子さ んらの指導を受け、国際的に権威がある「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」 (米国)、「ブゾーニ国際ピアノコンクール」(イタリア)に挑む計画だ。学費は免 除され、学生寮に住み、毎月約5万円の生活費が支給される。
 世界的ピアニストで、母国・ベトナムでは「神様」と呼ばれているダン・タイ・ソ ンにあこがれるフォンさんは、「多くのことを学び、留学のチャンスを生かして立派 なピアニストになりたい」と張り切っている。 
 ♪         #         ♭
 ー方、同短大では、グランドピアノが足りない ベトナム事情を考慮。同学院に、同型2台などのピアノ計5台の寄贈を申し入れた。輸送には計百万円かかるとみられ、 一口二千円の募金をよびかけている。
 この寄贈は、ピアニストで国立音大名誉教授の長峰和子さん(79)が、カザルスホール でフォンさんの演奏を聴いたことがきっかけ。感動した長峰さんが、長年愛用してきた グランドピアノ1台を、フォンさんを育てた同大学に贈りたいと小池学長に伝えたことから 発展した。問い合わせは同大学「ベトナムにピアノを送ろう係」
電話:(027−388−2301)
(読売 新聞)


ベトナムの学校訪問

 フジテレビが、24日午後4時5分からドキュメンタリー「天使からの贈りもの〜 ベトナムジュンコスクール奮闘記〜」を放送する。ジュンコスクールは、7年前に事 故で亡くなった大学生高橋淳子さんの「ベトナムで役立つ仕事がしたい」との意思を 継いで、両親から建設資金を提供した公立の小学校。現在、850人が学んでいる。番 組では、アクション女優のシンシア・ラスターと、ミュージシャンの大江千里が学校 を訪問する=写真=。「自分に出来ることがないかと思い、番組に参加させてもらっ た」と、大江。シンシア「子どもたちは素朴で、皆、目が輝いていた」と話していた。
 製作は、テレビ西日本。
(読売 新聞)


2000年ーお正月の集いー
(関西地方ベトナム難民定住20周年記念)

 関西地方に在住のベトナム難民は、去る2月6日日曜日に旧姫路定住促進センター の側にある仁豊野教会構内で旧暦のお正月の集いを開催しました。早朝から雨が降り ましたが、関西各地から集まってきました人々は喜びと楽しみに溢れて、賑やかな雰 囲気に包まれました。
 ミサの始まる前から聖堂には人が溢れ、司式するハリー神父と共に松浦司教や石井 神父が参列されました。アオザイを着ている二人の女の子の侍者とベトナム民族衣裳 を着ているハリー神父は私たちの目を引き付けました。ハリー神父はベトナム語でミ サをささげました。
 また、先祖にお香を捧げるベトナムの伝統的な儀式がヨゼフホールで行われ、実行 委員員会代表であるグエン・ヒュ・チェ氏が来賓や参加者に祝辞を述べ、感 想の言葉を送りました。今年はお正月を祝うと同時に関西地方に定住してか ら20年になった記念イベントでもありました。
 この集いに姫路定住促進センターの初代所長藤本様と最後の所長である松本 様が参加されました。勿論ベトナム人の大恩人であるハリー神父もその一人です。他 にはマリア病院のシスター方や定住センターの先生方も大勢参加されました。先生方 の感謝発表の後にベトナムの子どもたちが恩人の皆様に花束を捧げました。
 花田小学校のベトナム少年や姫路の青年たちがプロのような賑やかな獅子舞を披露 してくれました。カラオケやオルガン、ギターの演奏を楽しみ、故郷の料理によっ て人々の心とお腹は満たされました。集いの最後にグエン・ヴァン・トァン代表が参 加者の皆に感謝しながら、昨年の暮れに洪水に見舞われた同胞のために義援金の分か ち合いを呼びかけました。
 大勢のベトナム人が集まってお正月を祝うことは、故郷への愛着や先祖に対する敬 慕の情を示すことであり、空間的時間的に越えることを示してくれました。お正月の 16時に終わり、喜びと希望一杯で皆、解散しました。
(姫路ベトナムカトリック共同体)


『ベトナム夏期研修旅行』に参加して
秋田市 江原 茂

  大聖年を迎えて、カトリック秋田教会では青少年の健全なる精神の育成を主な目的 とし、夏季休暇期間中を利用してベトナムを訪問することになった。ベトナムを訪問 国として選択した最大の理由は、同教会に昨年の春、叙階して間もない新司祭、グエ ン・トルン・ジュン神父様が赴任して来られましたが、日本人の多くがベトナムとい う国に関する知識が希薄であることから、同神父様の出身であるベトナムという国を もっと知りたい、機会があれば行ってみたいという関心が信者たちの間に高まってい った経緯もある。ベトナムは東南アジアに位置し、地理的に考えると決して遠い国で はないが、社会主義国であり、公用語もベトナム語であることから、普通の日本人に とっては気軽に行ける国ではなく、近くて遠い国と言える。今回の『ベトナム夏期研 修旅行』への参加者は、ジュン神父様を引率者兼団長とし、中学生1名、高校生3名、 高校教員1名、元学校教員1名と筆者の計8名だった。研修旅行の旅程内容は、観光 業者に頼ることなく、同紳父様を中心に参加者全員が意見交換の場を設けて、検討を 繰り返しつつ、訪問先や同教会信者たちの協力を得て集まった文房具の配布先などを 日程表作成に準じた形で決めていった。
 筆者は秋田市内の短大で講師を勤めているが、これまで主に夏期休暇を利用した 『アメリカ語学研修の旅』や『フィリピン体験学習の旅』と題して、 4回学生を引率させて項いた経験がある。アメリカでは1ケ月間、フィリピンでは 2週間ほどであったが、訪問先ては筆者を含めて参加者全員が必ず一般家庭での ホーム・ステイ体験をプログラムに取り入れた。その結果、現地の人々と日常的な 交わりを通して、その国の言語や習慣を多少なりとも学び知り得たと同時に不慣れな 異文化にも触れることによって、国際感覚を身に付けるだけではなく、 自分自身を見つめ直したり、或いはまた、他国との風土や環境の相違を知り得て 自国である日本に関しても考える契機を与えてくれた。外国での語学研修や体験学習に参加 した学生たちの殆んどが、帰国後、勉学に限らず学園祭などの行事や奉仕活動の場でも 以前よりも増して積極的に行動するようになった。同行した学生たちの良い変貌振り、 成長振りを見たり知ったりするとき、筆者の心のうちで、彼らを連れていけたことに 大きな喜びを感じる。今回の『ベトナム夏期研修旅行』に参加した青少年たちにも同様な 傾向を見受けることができて、喜ばしい限りである。  
− 1 −
 『ベトナム戦争』という悲惨な出来事が過去にあった。だが、過去の悲惨な出来事 として片付けられることではない。ホーチミン市から車で1時間半ほどの所にクチト ンネルがある。
戦争中に南ベトナム解放民族戦線(通杯べトコン)の指導者の下、200キロメートル とも250キロメートルとも言われるほどの長さで、自然の地の利を活かして掘られた 地下トンネルのことである。トンネルは延々と縦横に掘り巡らされており、会議室や 診療所までが設けられていた。解放民族戦線の本拠地であったことから、米軍による 『枯れ葉剤』が大量に撒き散らされた。周辺は、元々ゴム園であったが、この薬剤の 投下と爆撃によって根こそぎ破壊されてしまったのだった。戦争終結して四世紀半の 歳月を経た今も尚、この薬剤の影響によるものと思える奇形児や障害児の誕生が跡を 絶たないのが現状である。
 ホーチミン市内にある戦争博物館を見学した。敷地内の一角に、戦争中に実際に使 用された米軍の戦車、戦闘機、ミサイルなどが展示されていた。『枯れ葉剤』を撒き 散らすために使用された巨大な容器も実在した。この器のあまりの大きさに、居合せ た誰もが言葉を失うほどに驚愕したのである。戦争が人類にとって最大の不幸な出来事であり、 また如何に愚かな行為であるかを、実際に現地を直接に訪れて自分の目で 確かめることができたことは、将来を担う青少年たちにとっても、国際感覚の養成の 場となり、異文化体験に触れる契機となったと同時に、掛け替えのない大きな心の糧 を得ることができたと言える。普段は明るく無邪気な若者たちも、戦争博物館の展示 品を観てまわる間、笑顔さえもすっかり忘れてしまった。というよりも終始くもり がちで冴えない表情であった。参加した一人の若者が突然、重々しい口調で言葉を発 した。「戦争って本当におそろしいね。人が人を平気で殺し合うなんて……」と。ベ トナム研修旅行の全旅程の中で、参加者一同が重々しい雰囲気の裡に言葉数も少なか ったのは、この博物館を訪れたときのひと時であった。『百聞は一見に如かず』とい う諺があるが、まさにその通りだったのである。
 『ベトナム夏期研修旅行』に参加して思ったことは、社会主義国家でありながらも 想像以上に自由な雰囲気の裡に旅ができたことであった。一旦入国した後に、訪問先 の路上では、一度たりとも検閲を受けることはなかった。夜間も遅い時刻であっても 屋台で軽い食事することも可能だった。「ベトナムは本当に社会主義の国であるか?」 と疑いたくなるほど、自由に行動することが可能であった。行く先々で出会った人々には、 私たち一行を温かい気持ちで歓迎して頂いた。「世界の孤児。貧しさを絵にし たような禁慾の社会主義国」という1980年代前半までの かつての雰囲気は、現在のベトナムには見受けられない。 おそらく、1986年に認可制定されたドイモイ即ち、民間経済活動 の自由化と対外全面解放という二つの政策導入が、その後のベトナムの経済発展に 大きく寄与したと言えよう。東南アジア諸国の中には、まだま貧しい国が幾つか存在 するが、ベトナムは着実に豊かさを増している囲である。
− 2 −
 訪問した先々で出会った人々のくったくのない笑顔と旺盛な労働 意欲に、ベトナムに明るい将来を見る思いがした。ベトナムは、外国語を修学したい 希望者の数が増加する傾向にある。国内にいながらも、母国語以外に第二外国語として 日本語を修学している人数の割合は英語の次に多いのである。この事実は、日本では あまり知られていない。ホーチミン市に滞在中、偶然日本語を学習しているという 2人のベトナム大学生と友達になれた。日本語を学び始めてまだ1年半ほどだと 語っていたが、流暢に話すのを見て、彼らの学習意欲に敬服した。「 日本語を実際に話してみたい」という理由で、ホーチミン市内の名所巡りに彼らも同行し、 流暢な日本語で観光案内をして頂いた。ベトナム人の日本に対する印象は友好的である。 戦後の日本の急速な経済復興の陰に、朝鮮戦争やベトナム戦争によるものと思しき 恩恵があったことを、日本人である私たち自身が認識する必要があると言えよう。 過去の歴史的過程の経緯を顧みると、近隣諸国との相互的な協力関係や友好関係を今以上に築き上げる必要性を感じ るのである。よき機会を得て、今夏、ベトナム訪問することができたことが、自分自 身、より一層のベトナムへの関心を強める契機になった。日本とベトナムが、今以上 の大きな友好関係に発展していくことを期待したいものである。
 最後に、私たち一行を快い姿勢で温かく迎えて受け入れてくださいましたベトナム の人々に、そしてまた、旅行の準備段階から私たちのお世話をしてくださり、旅行中 は通訳の傍ら、旅を無事にかつ楽しく終える事ができるよう、常に気配りしてくださ いましたジュン神父様に心から感謝申し上げたい。


  ベトナム夏期研修会を終えて  
 
鈴木 真太郎(高3)
斎藤  竜市(高2)

  僕らはたくさんの人に見送られて秋田をあとにした。その夜大阪の空港に降り立っ た僕たちは、電車を乗り継ぎ細長いホテルに着いた。そのまま8人は深い眠りにおち ていった。次の朝、ドアをノックする普で目覚めた竜市は真太郎と共にモーニングコ ーヒーは飲まなかった。ふと、我にかえった2人は、日本で最後の食事を味わい、バ スと電車を使って関空に着いた。お昼前にはベトナムに向け、僕らの飛行機はベトナ ムに向け飛び立った。
 4時間の空の旅を終え、僕たち8人はサイゴン空港に降り立った。その日はゆっく りホテルで休んだ。7月30日この日はサイゴン大聖堂でミサに与り、教会内で施設 の子どもたちに秋田の皆様から傾いた文房具を渡した。
竜:イヤー。サイゴン大聖堂って、でかかったねえ−。
真:ミサの時の手の合わせ方がちがったのにはびっくりしたよ。
竜:うん。あれにはびっくりしたね。交差させて日本とは違うなあと思ったよ。
 7月31日早朝からバスに乗り、建設中のクチ教会に寄って文房具を渡した。その 後クチトンネルに行き、ゲリラ兵が潜んでいたトンネルを見て回り銃を撃ってかえり ました。
真:クチトンネルで印象に残った事は何? 竜:地面に爆撃で穴ができていたのが戦争の悲惨さを思わせられたよね。真君は。
真:う−ん。正直いって、トンネルで頭を打っちゃって僕の方も悲惨だったよ。
竜:「…」クチトンネルといえば鉄砲を撃ったのおぼえてる。
真:生まれて始めて撃ったけど想像以上に衝撃がすごいんだよ。
竜:僕なんか衝撃が強すぎてマトにあたらなかったよ。
8月1日 メコン河クルーズを楽しみ河沿いの教会でジュン神父様がミサをあげ、教 会の子供たちに文房具を渡し、カントー市内のホテルに泊まりました。
真:とまあこんな感じだったけど、どうだったメコン河
竜:神父様が舟を運転したんだけど、あまりのうまさに熟睡しちゃった。
真:だったら景色とか見てないんだ。
竜:見たよ。
真:「・・・」
竜:見たよ、見たよ。
真:あらお怒りじゃあ、どんな景色が印象に残った。
竜:草、草、水、水、空、空。
真:もぉいいよ。次2日
8月2日 この日は舟でカントー市の水上マ←ケットを見学し昼食にヘビを食べ、バ スでホーチミン市に戻りました。
竜:僕はヘビを食べたの初めてだよ。
真:いや、そりや初めてだろうけど食べた感想をね、聞きたいんだけどね。
竜:皮はがさがさ、身はぼろぼろ、量も多めで困ります。
真:つまり、君の舌には合わなかったんだ。
竜:んなこと育ってないじやん!!(怒り)
真:えっ?ごめん。じやあ次3日。
8月3日。ホ山チミン市で丸一日自由行動で、皆それぞれ楽しみました。
竜:僕たちは何してたっけ。
真:いやあ。話せば長くなっちゃうよ。
竜:ってゆうか話せ!!
真:まず買い物したね。
竜:そうそう、大きいパズルを買って。
真:だけど普通ベトナムに行ってまでパズルを買う人はいないと思うけど。
竜:でも、おもちや屋さんと友達になれたからよかったよね。
真:あっ、そういえば日本人もいっぱいいたよな。
竜:外国で日本語の会話ができたのはうれしかったね。
8月4日、朝早く飛行機に乗りベトナム中部のダナンに行き、鍾乳洞に寄った後、海 でサマータイムをエンジョイしました。
真:この日はなんといっても海。
竜:海は日本の海よりちょっとしょっぱい感じがしてやけに体が浮いたよ。
真:僕たちのそんざいもういてたよ。
竜:アッハハハ、んなぁこたない。
8月5日 カテドラルを訪問し文房具を渡した後、ベトナムの京都と言われている古 都フエの遭跡などを見学しました。
竜:フエの遺跡は昔を思わせる建物などがありました。
真:ベトナムの歴史がよくわかったね。
8月6日 ミサに与るため教会に向かいましたが、ミサは既に終わっていたので仕方 なく8人で祈って帰りました。ホーチミンに着いた後、地元の教会学校の先生方と交 流し、ガイドさんの家に泊まらせてもらいました。
竜:あの時は恥ずかしかったよ。
真:えっ、何が、
竜:ミサに行く時、人力車が8台並んで走行したときが、恥ずかしかったよ。
真:それが恥ずかしかったの、僕は注目されるの好きだから平気。
8月7日 自由行動と帰りの支度をゆっくりとして、23時15分の飛行機で日本に向 かい翌日、6時2分、日本に無事帰国しました。
真:とまぁ、日本に無事に帰ってきまして。どうだった。
竜:う−ん。うまく言えないけどよかった。
真:また行きたい?
竜:行きたいねぇ−。
真:行きますか。
竜:いつ。
真:明日。
竜:早っ!!


ベトナム最高
カトリック秋田教会 湯沢 生水(中3)

 空港からのタクシーの窓を開けた。べトナム独特の匂いがした。50センチごとに ある屋台、鳥の丸焼き、珍しい色とりどりの果物の山、日本では見られない光景が広 がっていた。一番驚いたのは、ホンダのバイクの数の多さだ。私たちのタクシーはバ イクの流れの中を船のように、ホーチミン市の中心街へ向かっていた。1台のホン ダ・スーパーカブに、ハンドルを握っているお父さん、その前に子供、その後にも1 人の子供、その後ろにお母さん。4人が1台のバイクに乗っているのは、決して珍し くないことが中心街に近づくにつれて分ってきた。
文房具は貴重品

 中高生の信仰教育の一環としてのベトナム研修旅行に参加した。グエン・トルン・ ジュン神父様を指導司祭として、総勢8名、7月29日に、ホーチミンに着いた 一行は、秋田教会の皆様から預かってきた文房具をベトナム各地のカトリック諸施設に 10日間の旅のスタートを切った。
 ベトナムでは、日本のどこの家の引き出しに眠っているような鉛筆やノートでも 大変な貴重品だ。このことは、ジュン神父様にきていた。実際、文房具店は、 ホーチミン市でも数少なく、目抜き通りあるだけ。あか扱けして日本と同様の店構え で見たノートやボールペンの値段は、日本と同じだった。物価が日 本の十分の一を切るベトナムの子供たちにとって、日本と同じ品質の 文具は、高嶺の花であることがよく分った。ホーチミン市の聖マリア聖堂 のすぐ近くにあるストリート・チルドレンのための施設の一つ、ホーチチミン市 の西3時間のクチ教会に一つ、ベトナム中部の古都フエのシスターたちの運営する 養護施設に一つと日本でダンボール箱に梱包し手荷物として運んできた 8個の箱を無事手渡すことができた。
リーさんとファンさん

 ホーチミン市では友達ができた。聖マリア大聖堂のミサで出会ったリーさんとフ ンさんだ。日本語を学んでいる美人の大学生、私たちの日本語の会話を耳にして声を 掛けてきたのだ。リーさんは水色のアオザイがよく似合う。フンさんは、現地でも人 気のハロー・キテイーの小さな可愛らしいバックを持っていて、どちらも大変美人の お姉さん。育ちの良さを感じさせ礼儀正しい。2人は私たちとはなしている時は、片 時もメモ帳を手放さなかった。少し難しい日本語に困ったときは、メモ帳を出し、そ の書き方や意味を丁寧にメモを取る。日本語を学ぶために、日本料理店でアルバイト をしているが、その料金は日本では信じられないくらい安くてかわいそうだった。直 接日本語で会話する機会を増やすためアルバイト料をためて日本に来ることが夢だ と話していた。日本語の辞書も高くて手にはいらず日本語の辞書、それも小学生用の 大きな活字の分りやすいものが是非欲しいとのことだった。リーさんとフンさんと一 緒に買物に行ったり、ホーチミン市内を親切に案内してくれた。ベトナム女性のかぶ る菅笠であるノンの安い店を紹介してくれたり、屋台で一緒に何回か食事をしたり、 楽しい思い出がいっぱいできたのも二人のお陰、本当に感謝している。思えば二人は 何時も1台のホンダのバイクに仲良く乗って私たちと行動を共にしてくれた。二人に 日本から大学へ辞書を送ることを約束して別れを惜しんだ。
黒いおじさん

 私たちは、ベトナムの国道1号線の近くにあるタクシーのガイドさんの家に招待さ れた。タクシーのおじさんは、私たちが行く所、どこでもニコニコしてついてきてく れる感じの良い黒いおじさんだ。(おじさんと夜にかくれんぼをすると、どこにいる か分らないくらいだとおじさんの相棒のタクシーの運転手さんが言っていた)。
 ガイドのおじさんの住んでいる地域は、100メートルごとに教会があり、カトリッ ク信者が99%以上を占めている所だ。そして、信者たちの団結力は強く、何年か前 に、現政府の幹部が教会の施設を取り上げようとしたとき、国道1号線沿いに住むカ トリック信者たちは、国道に座り込んで退かなかった。それほどまでに団結力が強い のだ。


若者たちと交流

 私たちは、この信仰あつい所で若者たちと交流する機会があった。夕方「オイ! 生水、ベトナムの若者たちが日本から来た若者たちと交流したいと言ってるぞ、行っ てみないか」ジュン神父様から嬉しい知らせを聞いた。日本の若者4人と引率してく ださった元・若者は、歩いて近くの小さな教会へ行った。私が最初に目にしたのは、 入り口にあったたくさんの靴だ。「どんな人が中にいるのだろう」とワクワクしてい た。中に入ると沢山の若者たちがいて、拍手で迎えてくれた。何だか分らないが心の 中に嬉しさが込み上げてきた。50人の若者たちは、皆、キラキラと輝いていた。そ の顔からは信仰の絆、信仰の輝き満ち溢れていた。集まっていた16歳から20歳まで 若者は、皆、教会学校の先生だそうだ。私たちは、日本の童謡“赤とんぼ”と“ふるさと” を歌った。そのお返しとして、ベトナムの若者たちは、楽しそうに手拍子を入 れながら、ベトナム語の歌を歌ってくれた。その後、英語で自己紹介をしたり、 質問したり、温かい交流会は続いた。 しかし、ベトナム語なまりの英語を理解するのは大変苦労 した。若者たちと話しているとき、信仰って素晴らしい。 日本の教会にも若者がたくさんいたら、どんなに良いだろうと思いをめぐらせた。
 私は、このベトナム研修旅行で信仰の大切さ、信仰の素晴らしさが分ったような気 がする。ベトナムは、活気に溢れている。ベトナムは貧しい国だと思っていたのは完 全な誤解だった。街中に溢れるきれいな笑顔、元気な笑顔を見て日本の若者とベトナ ムの若者、ベトナムと日本、どちらが本当に幸せなのか本気で考えてしまった。私は、 きれいで元気な笑顔がある方が幸せだと思う。
 最後に、私たち若者に素晴らしき貴重な体験と信仰の大切さを教えてくれたジュン 神父様に心から感謝したい。本当にありがとうございました。ベトナム最高!!


チョットひとこと

  静かな天空に、星が輝いています。地球から見える冬の星空は澄みきっていて、その 深い沈黙そのものがメッセージに変身して私たちに語りかけてくれるような気分がしま す。「20世紀最後」とか「21世紀に向けて」という言葉が余りにも多く耳もとを通 り過ぎ、活字や映像にもなって私たちの頭に刺激を与えています。地球には始めがあり、 変化しながら終わりに向かって発展していることは周知の事実です。しかし、こうした 歴史の重みを感じさせる一方で商業生産主義にこの現実が利用されていることも否めま せん。
 新しい年を迎えた今、有名な歌の一部「見上げてごらん」という言葉について一緒に 考えてみませんか?眼も心も上に向けるといっもとは少しちがったものが見えたり、日 常とは別の思いが浮かんだりすることもあります。さらに、抽象的ではありますが、た まには形而上学的理論にも触れ、心が見えない存在に引き寄せられるままに瞑想してみ るのもよいのではないかと思います。
 20世紀は波乱万丈の世紀であったと言われています。確かにその通りでした。しか しそれとは別に、一見平和にみえる社会生活でも落ち着いて話し合う機会に余り恵まれ ない世界を人間自らがつくりだしてしまったのではないでしょうか?文明の利器も生活 を豊かにしますが、自分と機械とが向き合ってよい関係をつくりだす一方で、「他者」 の存在を余り意識しない行動も見られるようになりました。夜明けの道を歩きながら大 声で話している会話が、眠りを覚ますようなこともある街の状況もその一こまでしょう。
 国境問題で互いに争い、自由を剥奪し、戦争やテロなどの絶えなかった世界が、20 01年からはどのように変わっていくのか、非常に関心のある課題です。
 「見上げてごらん」、上を見るために足がしっかりと地に着いていることが条件でし ょう。今回の体験学習の記事にもあったように、人間の真実、暖かさ、友情を大切にし ながら、新しい年の日々に「他者」との共生を実現していきたいものです。2000年 前、「東の空に星をみて、すべてをおいて神を拝みに」いった学者たちのように、人を 大事にしながら大きな存在に眼を向けて!

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