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チョットいいこと 85

大地から大空へ
私の国際結婚
高2D学級だより 学園祭について
漢字辞典
わたしのおかあさん
教え方を学ぶ学生ら
わたしたちのひとこと
チョットひとこと


大地から大空へ
カット  「おめでとう!」と挨拶を交わす「年の初め」がやってきました。 大晦日の23時59分が過ぎて元旦になった途端にすべてが新しく動きを始めます。 日本ではその習慣が余りにも徹底し過ぎて形式の枠にはまってしまったような気もします。 それは、日本でよく使われる節目という言葉でも分かるように、 この時期も一つの大きな節目という意味を大切にし、 けじめをつけているからでしよう。 現在では、多少変わりつつあるようですが、 習慣として多くの人は神社に参拝し、 お屠蘇、お雑煮、お節料理と続く一連のメニューに正月の雰囲気を楽しんでいるような感じもします。
 一人一人の人生にも、連続しているように見える事象の中でのけじめをつける時期があります。 新しい気持ちで再出発するチャンスに恵まれることもあり、 自分でそのきっかけをつくる時もあります。 人生の節目は、重ねられる度ごとに大空に向かってジャンプするバネにも等しい強い力として 個人の歴史のなかに蓄えられていきます。 精神科医の斎藤茂太先生の著書「人生を上機嫌に暮らすコツ」の中に 『今日を大切にして、いい明日をつくっていこう』というすばらしい文章が書かれています。 この短い文章の中には限りない深さが潜んでいるように思えます。 この語りかけは、自分にも、すべての人にも手の届く範囲で分かち合える、 そして顔は見えなくても思いを伝えることができる大きな力があると確信しています。 自分にとって「いい明日」、みんなにとって「いい明日」は必ずやってくるでしよう。 大地にしっかりと立って今日一日のバネを大切に作り上げたいと思います。
 大空を自由に飛んでいる鳥も、かつては大地に養われ 自然の恵みによって生命を保ってきた経験をバネにして高く遠く舞い上がっていったのです。 時間が経てば明日は自然にやってくるでしよう。 しかし、「いい明日」は今を大切にして積極的につくっていくものなのだという飛躍の原理が隠されています。 お互いに足を引っ張りあうような惨めな社会ではなく、 大空のような広く清清しい心をもった人々の共存する世界が展開することを期待しながら、 みんなで「いい明日」を2000年の日々の中でつくりだしていきませんか。
(編集部)

私の国際結婚
皆川 一夫
師走の夫婦喧嘩
 爽やかな休日の朝、私が女房に「こんど国際人流という雑誌に、 国際結婚の秘密みたいなことを書いてほしいと依頼されたよ」と言ったら、 彼女は目を輝かせ、「それじゃ、二人で一緒に相談しで内容を考えないとね....!」、 と弾んだ声でそう言うので、私はその日のうちにでもいい感想が書けそうな気になった。
 ところが、その日の昼、些細なことから深刻な夫婦喧嘩になってしまった。 夜までお互い無言の状態が続いたが、就寝直前になって妻は、 「もう我慢の限界だ。つまらないからベトナムに帰る。 可愛いこの子がててなし子になったっても私はかまわない。覚悟はできている!」とタンカを切り、 バシーンと襖戸を閉めて寝室に消えてしまった。 私は驚いたが、私なりにムットしていてダンマリを決め込み、 今日は絶対に自分からは謝らないゾと心に誓っていたから、 その日はもう原稿の執筆どころではなくなってしまった。
 これまで、妻とは実にうまくいっていて、深刻な喧嘩など一度もしたことがなかったのに、 原稿を依頼された時にこうなるとは、実に皮肉だ。 人生は万事予測不可とはいえ、これはひどい。 朝に希望の空を飛翔し、夕に絶望の淵で呻吟するような状況では、 とても人様に自慢できる原稿なぞ書けるはずもない。 私は、「ついに、この結婚も破局か。でも、小さな息子が可哀想だ」などと思い悩みながら、 夜更けまで深酒した。
カット  衝突の原因は言葉の行き違いだった。 近隣の店に買物に行った際、一応買物が終わったが、女房がもう少し見たいものがあるというので、 私は「それじゃ、子供が可哀想だから先に子供と帰ってるよ」と言って駐車場に戻り、 車の中で待っていた。 ところが30分待っても一向に妻が帰って来ない。 あまりに遅いので様子を見に店に戻ろうとしたら、妻が家の方向から顔をしかめ、フーフー言いながら走って来る。 妻は「『帰る』というから家に帰るのだと思ったのに、家にいないから慌てて戻ってきたわよ。 駐車場に戻るというなら、ちやんとそう言うべきよ。ヒドイ」と凄い剣幕である。
 私は、「だいたい年の瀬のこんな寒い日に、 愛する妻を置き去りにして先に家に帰るような冷酷非情な夫だと思っているのか。 心外だ。心配して30分も待ってたこっちの気持ちも考えろ!」と怒鳴った。 妻は「ベトナム語で『帰る』といえば家に帰るに決まっている。 それなら、もっとちやんとしたベトナム語を使って頂戴!」と反論する。 この後、お互いそれっきり無言で対峙することになってしまったのである。
 が、一次は破局かとまで思ったこの夫婦喧嘩も翌朝には幸い円満解決となった。 朝、まんじりともせずに目を覚ました私は、このまま引き続きダンマリを決めこむか、 それとも譲歩して妻に詫びを入れるか、どちらにするか迷った。 そして、その迷いの中で、「夫婦円満の秘訣は、 何事につけ妻を立てることだ」という先人の教えを思い起こした。 ましてや私は妻より17歳も年上だ。 この際は、男の面子を立てるなどという大人気ない了見は潔く捨て、 長い人生を展望した夫婦円満の大目的を達する方が肝心と果然決意し、 私は妻に対し心身両面での真剣な宥和作戦に打って出た。
 「ベトナムには『愛すればこそ痛く噛み合う』という諺があるだろう、つまりそれだよ」と囁きつつ、 ひたすら我が非を悔いてこれを謝し、これからはより正確なベトナム語を使うよう努めること、 そして、初心に帰って夫婦関係を大切にすることなどを誓った。 この誠心誠意の努力が功を奏して妻の琴線に触れることとなり、 一昼夜も固く閉ざしていた心をやっと開くに至ったのである(妻の今回の爆発の背景には 一と月以上前から我が家に滞在している私の母との関係でストレスが溜まっていたこともあったようだ)。
お互いの言葉や文化の尊重
 私は、7年半前に先妻(日本人)を病気で亡くし、今の妻と結婚した。 彼女は、26年前に私がサイゴン(現ホーチミン市)で留学していた時に下宿していた家の長女で、 先妻のことも覚えている。 こういう相手と結婚することになったのは奇妙な縁ではあるが、 外国人と結婚するということについては、 やはりそれなりに「清水の舞台から跳び降りる」ような決意がいった(もっとも妻の方は、 清水の舞台どころではなく、断崖絶壁から跳び降りる決意だったという)。 ただ、ベトナムを第二の故郷とも思っている私は ベトナム女性を人生第二の伴侶とすることには大きな意味があると思えたし、 また海外生活の長い私は(ベトナム通算10年、アメリカ4年半、フランス2年)、 日本人に較べ一般に個性がはっきりしている外国人女性の方が感覚が合うような気もしていた。
カット  彼女と結婚するに当たっては、お互いの言葉はもちろん、文化や習慣などを最大限に尊重し、 相手に対する不満でも何でも、考えていることは素直に言い合うことを約束した。
 国際結婚で先ず一番の問題は、何と言っても意思疎通の手段としての言葉だろう。 この点私の場合、私がベトナム語を話せる関係で、夫婦の会話は今でも基本的にベトナム語である。 妻は日本に来て3年になるから、妻の日本語学習の観点からは日本語で話した方がいいと思うのだが、 どうしても日本語ではまどろこしく、ついベトナム語になってしまう。 ただ、これは時間の経過とともに次第に両方の言葉になっていくであろうし、 現に、妻の会話に日本語の混じる度合いが徐々に増えてきている。 基本的に、先ずはどちらかの母国語が共通語になっているのがよく、 両方の母国語が分かればもっと理想的だと思う。 少なくとも、互いの文化の尊重という点からは、 少しでも相手の言葉を学ばうとする気持ちや姿勢が大切だろう。 子供のことを考えれば尚更である。 国際結婚の例を見ていると、お互いの母国語が全く分からず英語などの第三国語を共通語としている夫婦もあるようだが、 人生の伴侶なのに、お互いの文化に直接的に触れ得ないというのは、とても寂しいことではないだろうか。
カット  二重言語の生活をしていると大変だろうと思われるかもしれない。 が、私は日本にいながらにして家では外国語の生活だから、 毎日の生活にスパイスが効いた感じで、ある種の快さがある。 ひとつの言葉世界から別の言葉世界に移行する軽い緊張感のようなものであり、いわば気分転換のようなものだ。
 子供は2歳半になるが、言葉は日本語とベトナム語のチャンポンだ。 子供は何語であれ、無垢単純に口真似するだけだから、 両親が違う言葉を話しても特に混乱はないようだ。 私は、日本に定住している難民のベトナム人同士の夫婦の家庭であっても、 ベトナム語の全く分からない子が多くいる現実を知っている。 これは悲惨だと思う。 親子の意思疎通が十分にできなくなるし、ベトナム人としてのアイデンティティーもなくなってしまう。 妻は、私たちの子には両方の言葉と文化を縦承してほしいと強く願っており、私も同意見だ。 言葉には民族の文化が蓄積されており、言葉の理解なしに文化を理解することは困難だ。 言葉を失うことはアイデンティティーを失うことに等しい。 子供には日本の文化も伝統も、ベトナムのそれも分け隔てなく固有の価値を持つものとして、 ごく自然に受容できるような柔軟な精神の持ち主になってほしいと願っている。
我が家の食事は日本食
カット  我が家での食事は、基本的に日本食だ。 私が妻にそう命じているわけではなく、自然にそうなっている。
 一般に人は(特に日本人は?)年をとるににつれ食事の嗜好は幼少時に食べたものに回帰していくと思われている。 50歳近くとなった私もそう思っていたので、妻との結婚を決意するに際しては、 食事の嗜好について締めざるをえないだろうと観念していた。 ところが、幸い彼女は大の料理好きで、 日本料理にも興味を持って日夜研究に余念がなく、 味噌汁はじめ日本的なもの何でも結構上手に作ってくれる。 これは予想外で、ありがたく思っており、食生活の点では却って依然より豊かになった気分である。
 そもそも日本とベトナムの家庭科理はよく似ている。 どちらもご飯、汁、煮物漬物などが基本だから、ちょっと味付けや材料を変えたりするだけで、 どちらの料理にも変化しうるといってよい。 だから日本料理と思ってもちょっとベトナム風だったりすることもあるし、 パーティーなどの時には本格的なエスニックのベトナム料理を作ってくれたりもするので、 食生活に変化があって誠によろしい。
 妻はご飯と麺類、そして魚が大好きなので、日本での食生活には満足しているようだ。 日本の食べ物は何でもOKで、刺身や寿司、味噌汁、納豆、お新香なども大好きだ。 この点、仮に欧米人などと結婚していたら、毎日パンと肉類の食事だったら喉につかえてとても耐えられないので、 相手が日本人でよかったなどと言っている。
 他方、里帰りなどで妻の実家に行けば、当然ながら私は朝から晩までベトナム料理一色だ。 これはこれで私には大きな楽しみだし、若い頃に較べ舌と胃袋が柔軟になっており、 ベトナム料理につきものの生ハーブでも何でも、 生唐辛子を入れた魚醤(ヌオック・マム)に浸して実に美味しくパリパリ食べられる。 妻の父と、地元のビールにブッカキ氷を入れて飲みながら、 こういうエスニックな食事をする時はまさに人生の至福を覚えるのである。
生活習慣や環境の違いを越えて
 国際結婚では、相手の生活習慣も専重しなくてはいけない。 例えば、日本では女性が男性に酒をつぐが、 ベトナムでは(というより、日本以外のほとんどの国では)夜の女以外は絶対にしない。 酒をつぐのは男の役目である。 レディ・ファーストの精神も貫徹する必要がある。 でも、このへんは、私の場合前述のとおり外国生活が長く、 いわば、かなり習性化しているから格別の苦痛はない。
 もっとも、どっちの方の生活習慣に従うかは時と場合によるが、 状況判断から自然と思える方を採用することになり、難しい面もある。 妻はこの点、「人家随俗」というベトナムの格言をモットーとしている。 要は「郷に入っては郷に従え」という意味だが、これがやはり基本かもしれない。 が、例えば、女性が男性にお酎する。 ホームパーティーで奥さんが台所に引っ込んでほとんど顔を出さない、 買物などで夫が重い荷物を持たず妻が持つ、 ズルズル大きな音をたてて麺を食う、紳士が家の外で泥酔する、 などという習慣は極めて日本特有のものだというようなことは頭に入れておく必要があろう。
 ところで、住環境の点だが、我が家は床86uの公団分譲住宅だ。 他方、妻の実家は三階半建て総面墳350u、バス・トイレが6つもある家だから、これに比べれば随分手狭だ。 しかし、日本の住宅は狭いながらも随分機能的にできているし、 周りは公園と緑が一杯で閑静だし、朝は鳥が囀り、空気の住んだ日にはベランダから富士山も見える。 大型スーパーも隣にあり至便だ。 ベトナムの実家は下町の路地裏にあって、周りは朝から晩まで騒々しく、緑も公園もゼロだ。 泥棒も多く油断ならない。
 妻は生まれてからずっとサイゴンの、こうした場所で育ったので、自然との触れ合いの経験は限られている。 だから、日本で感激したのは、緑が豊で静か、そして治安のよいことである。 妻の母も、日本に二回遊びに来たが、同じように感激していた。 子供を育てるには、こうした環境の日本の方がいいという。
 しかし、他方で寂しいのは人との触れ合いの機会が少ないことである。 ベトナムでは人間が生な形で生きており、人との触れ合いや会話がうるさい位に多い。 これまで30年もそういう環境に育ってきた妻にとっては、 人間関係の希薄な日本での生活はとても辛いことだろうと思う。 だから、私は、妻が社会と接触できる機会を増やすように努力している。
 先妻とは20年ほど人生を共にした。 今の妻とは、まだその四分の一である。 が、伴侶が日本人の場合であっても、言葉の違いこそないとはいえ、 育った家庭環境などからくる生活習慣や物の考え方など随分と異なる面があり、それなりに苦労があった。
 宗教や社会制度・規範などの制約が男女関係の障害になることもあろうが、 言葉の違いを除けば、基本的に男女の相性というのは国や民族の違いはあまり問題にならないような気もする。 今の妻とは物の好みや感覚、人生観などは不思議なほどよく合う。 彼女と一緒にいると、民族や国の違いというのは、 人間一般の関係において根源的に一体どういう意味を持つものなのだろうかと考えてしまうのである。 結局はお互いの相性の問題だし、相互の不断の努力にもよるであろう。
 ベトナムには「エビの頭とヘチマの中身のスープでも、夫が注ぎ妻がすすってうなずいて、 とてもうまいとほめ笑う」という諺がある。 貧しい内容の食事でも夫婦の愛情さえあれば美味しく食べられるという意味だ。 所詮、夫婦の気持ちの通い合いが肝心である。 妻はこの諺がとても好きだ。
 今後、二つの民族の歴史を背負う小さな子どもを育て上げながら、 妻とどういう人生を展開していくことになるか必ずしも明確なイメージは描けないが、 お互いに二つの国の懸け橋的な存在となれるような人生としたいものだと、妻と二人で願っている。

高2D学級だより 学園祭について
 学園祭での活動1日日は障害者の人数がが多くてヘルパーの人数が足りなくて大変でした。 そして皆さんのお食事を食べさせました。 あちこちいろいろ見に行ったり、ゲームをしたりしました。 「たびだちの村」の人を連れてお化け屋敷に行った時、 入る前に「たびだちの村」の人は、途中でこわがったらどうしたらいいか心配でしたが、 逆に彼女は面白がっていました。 まあ、実は自分の方が怖かったのです。 2日日は人数が少ないからちょっとゆっくり見てまわることができました。 みなさんは帰る前に教室で休憩をして、 その間はボール遊びや黒板に落書きをしてとても、楽しく遊んでいて、 その人たちの笑顔を見ると疲れなどなくなりました。 また機会があればやりたいと思います。
暁星国際高等学枚 グエン・ティ・クック

漢字辞典 ベトナム人による日本理解のための
 祖国の政変で留学先の日本にとどまらざるを得なかったベトナム人男性が、 13年がかりでベトナム語による漢字辞典を完成、自費出版した。 日本で暮らす同胞の人たちが、日本の漢字文化に早く溶け込めるように、との思いが込もる。 日本企業の進出などで日本語学習が高まるベトナムでは、"海賊版"も出回るほどの人気だという。
しゃしん
 辞典を出版したのは、東京都品川区でベトナム雑貨店を経営するド・トン・ミンさん(48)。 ベトナム戦争末期の1970年に留学生として来日したが、サイゴン陥落によって祖国に戻ることをあきらめた。 以来、在日べトナム人の通訳や日本語指導、生活の世話にかかわってきた。
 そんな中でミンさんは、漢字学習のための実用的なベトナム語漢字辞典の必要性を痛感。 86年、日本人中学教諭ら友人の協力を得て、 日本の小学校で1,006文字の漢字の辞書作りに乗り出した。 妻のハーさん(48)も校正係りを受け持った。 タイトルは「千六の漢字」。 漢字と熟語の読みや意味をベトナム語と日本語で併記。 書き順や部首、総画索引も付く、全430ページの本格的な辞典だ。
 ミンさんが最も力を注いだのが、それぞれの漢字に添えられた計2,200に及ぶ例文。 「旗」の項目では「日本の国の旗は日の丸です」、「線」では「山手線の電車は緑色です」、 「五」では五月五日はこどもの日です」など、使いながら日本の知識が身に着くようにした。 法務省の統計では、昨年の在日べトナム人の数は12,000人だが、 昨年2月に出版されたこのミンさんの辞典は約100部が既に売れた。
 ベトナムでは、日本語は英語に次いで人気のある外国語で、 少なくとも約20,000人が学んでいるという。 ミンさんは彼らの役に立てばと、ベトナムの日本語学校にコピーを寄贈した。 「ベトナム語はもともと漢字を使っていました。 漢字の音読みはベトナム語の発音と似ているものも少なくありません。 漢字に親しんでいくことは、祖先の遺産の維承にもつながるんです」
 「千六の漢字」は、1部4,000円。
問い合わせは東京都品川区大井1-11-4、小川家ビル2階「メコン・センター」(рO3-5742-2168)
(読売 新聞)

わたしのおかあさん
姫路市立花田小学校3年ユオン・ティ・ゴック・ツク
 わたしのおかあさんは、まい朝5時にしごとにいきます。 わたしと妹がおきたらいつもいません。 あさごはんは、おとうさんがときどきつくってくれます。 でも、わたしがつくるときもあります。 たまごやきとおにぎりはつくれます。 ごはんがないときは、なにもたべずに学校へいきます。
しゃしん  いつも、妹をほいくえんにつれていってから学校へいきます。 妹は、おなかがすいているから、9時になるとほいくえんの先生がごはんをたべさせれくれます。 わたしは小学生だからがまんします。 いつも、学枚へいく時間になると、しごとばからおかあさんが、「もう、いきなさいよ。」とでんわをしてくれます。 わたしは、おかあさんのこえをきいたらうれしいから、がんばって学校へいこうと思います。
 わたしのおかあさんは、よる7時まではたらいています。 8時になるときもあります。 わたしと妹は、テレビをみたり、そとであそんだりして、おかあさんをまっています。 くらくなったりします。 わたしは、いえにはやくかえりたいけど、妹は、「まだ、あそばう。」と言います。 だからしかたなく、あそんでやります。 おかあさんがかえってきたら、しかられるからです。 そうじしたりがんばっています。 それは、わたしたちをベトナムにいかせるためのおかねをためているからです。
 おかあさんはあさはやくからよるおそくまでしごとでいないので、わたしたちのせわができません。 それでベトナムのおばあちゃんのところにあずけられるのです。 おかねがたくさんいるから、おかあさんはがんばってはたらいています。
 ほんとうは、おかあさんとはなれるのはいやです。 でも、わたしたちのことをかんがえてくれて「ベトナムのおばあちゃんのところにいくか。」と言った おかあさんのきもちがわかるから、ベトナムでおむかえがあるまでがまんします。 わたしは、おとなになったら、日本で家ぞくをたすけたいと思います。 だからいまは、がまんしておばあさんのところにいくことにしました。
兵庫県在日外国人教育研究協議会『ともに』No.21

教え方を学ぶ学生ら
ベトナム人と交流 日本語ボランティアグループ
 「日本語ボランティアグループ」は、主に姫路に住むベトナム人に日本語を教えている。 メンバーは、姫路独協大学国際交流クラブ同好会の有志約150人。 1996年(平成8年)3月、在日ベトナム人に日本語学習の場を提供した姫路定住促進センターが閉鎖。 難民事業本部関西支部から同大学に、代わりの場を設けるよう要請があり、7月に活動が始まった。
しゃしん  毎週水曜日の夕方から、姫路市市川台の市営団地の集会所で教えているが、戸別訪問をしている学生もいる。 メンバーのほとんどが外国語学部日本語科の学生で、「将来日本語を教える仕事に就きたい」と考えている。 松尾紀子さん(3回生)は「ベトナム語が分からないので、最初は意志の疎通に困りました。 ここは、彼らが、日本語を学ぶ場所ですが、私たちが教え方を勉強させてもらっている場でもあります」。 松原麻有子さん(4回生)は「みなとても熱心に勉強されていますが、 祖国やベトナムを知らない子どもが遊んでいる場合もあって、考えさせられることも多い」と言う。 一緒に活動している同大の山崎助教授(44)は 「学生にとって、本当に良い勉強になっていると思います。ここでの経験は、大学の講義にもプラスになるでしよう」。
 同グループは、現在一般の参加者を募集中、問い合わせは、同大日本語学科研究室、 山崎(0792-23-0970)
(朝日 新聞)

わたしたちのひとこと

私たちが日本の考え方を受け入れ、もしここで働きたければ日本流にあわせなければなりません。 でも、一人ではできないので教えてくれる人が必要です。 それには、日本社会のむずかしさを私たちに納得させてくれるのがよいと思います。 ベトナム人にはまだのんびりしている人が多いから、私は、次ぎの世代に期待しています。
ホアン・フイ 24才

日本の着物はきれいです。 正月、祭日、そして特に、桜が咲いているときの日本の女性の着物はすごくきれい。 日本の美しさを感じる。 そして、きれいだなと思うし、良い気持ちを感じます。 日本の着物は本当に美しいです。
タン・フォック 26才

特に東京で、部屋をさがすのが大変な苦労があることに驚いています。 部屋代が高いことと、外国人であるために、 日本人の保証人がいないと駄目とか、外国人ということで部屋を貸してくれない大家さんもいます。
ゴック・フイ 32才

チョットひとこと
 見えない、知らない、そして計り知れない世界が、またひとまわり広がっていく新しい年を迎えました。 人間が宇宙開発に挑むようになったり、コンピューターやより精密な顕微鏡が作られるようになったりして、 知識が豊富になるにつれ今まで「知らない、分からない」と思っていた世界と宇宙の科学、歴史の解読は、 その波紋を広げて未知の世界に向けられているのでしょうか。
 昨年は、自然界の異変によって多くの犠牲者がでたり、 人間の世界でも精神と物質に対する価値観が問われるような問題が数多く起こりました。 核分裂のように物理的なことと同時に、 心の深刻な苦しみや大きな喜びについて考えることも大切だということを 再認識させられた年だったように思われます。 ストレスが連鎖的に広がっていくことも、喜びや幸福感が自然に伝わっていくことも、 目に見えない部分も含めて皆が経験していることです。 緊張が緩和され、人間らしい生活ができるようにと願いながらなかなか達成できないのも事実です。 このような現状にあって、今問い直されていることは、 社会として、個人としての倫理観ではないでしようか。
 今年は、明るい清潔な話題が情報の主軸になればと世界中の人々が願っていると思います。 「いい加減な」「無責任な」言動によって多くの人や物を失っているこの社会を変えていくために 一人一人の努力の積み上げが必要だと思います。 一方、「国同志」「民族同志」の摩擦はさらに多くの「難民問題」を引き起こし、 たった一人の犯罪によって多くの人が犠牲になったり、 自由が剥奪されて大切な生命が失われてしまっているのが 残念ながら20世紀末の世界の苦悩であり、圧迫でもあったと思います。 その上、一回の不祥事によって新たな法律が加えられ、 その繰り返しによってますます束縛されてしまう結果も生じています。 今年こそこのような悪循環から解放される名実共に新しい一年でありますように。
 美しい紅の薔薇のように、快い香りでもってお互いの心を和ませ、 豊かな気分で落ち着いた毎日をつくりだしていきましよう。


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