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チョットいいこと 81

沖縄、ベトナムは僕の原点
カメラが追った復興の足跡
初のチーム作業でベトナム語聖書完成
KFC北米Study Tour報告
外交樹立への交渉
ベトナム
ベトナムに百十数億生
新司祭誕生
クックさんから
チョットひとこと



沖縄、ベトナムは僕の原点

ベトナムの博物館に作品展示室ができた写真家
石川 文洋さん
 ベトナム戦争の惨禍を伝えるホーチミン(旧サイゴン)市の戦争証跡蹟博物館に、個人では初めて作品展示室ができた。 ベトナム報道に携わって35年。 約二百点の作品を博物館に寄贈、"本国"での展示が実現した。 「当時は(南北)統一とかベトナムの将来はわからなかった。まして写真展なんて」と感慨深げだ。 博物館には世界の報道写真家の代表作が展示されているが、中でも衝撃的なのはこの人の「飛び去った兵士」と題する作品だ。 米軍の弾に当たりボロ切れのようになった解放戦線兵士の遺体をつまみ上げる米軍兵士の姿をとらえている。 今回の展示で「ニヤニヤする米軍兵士」という博物館側の写真説明は消えた。 逆に米兵の顔はゆがんで見える。真実を訴える力がそこにある。
 「写真説明には力を入れた」。日英越三ヵ国語で表示され、戦争のありのままを伝える。 高校卒業後、「世界無銭旅行をしよう」と香港に渡り、写真事務所で働いた。 そして、トンキン湾事件直後のベトナムへ派遣され、空港に降り立った途端、南国の風が故郷の沖縄に似ていることに気づく。 「米軍が来て、多くの市民の命を落としている。沖縄がベトナム戦争で米軍の重要な後方基地だったことにも胸が痛んだ。
 終戦から20余年、ベトナムも戦争も知らない世代が育ってきた。「そんな世代に戦争を伝えたい」
ハノイ支局 渡部 恵子 (読売新聞)


カメラが追った復興の足跡

 阪神大震災の復興の足跡を記録した青池憲司監督の映画「人間のまち−野田北部・鷹取の人びと」。 これまでに完成した10作のオ−ルナイト上映映画が16日、大阪・キタの映画館で開かれた。 これに合わせて、青池監督と地区代表の鷹取教会神父・神田 裕さん、ボランティアとしても活動した監督仲間の利重さんが語り合った。
震災から10日後、青池監督は、以前に撮った映画を通じて知り合った神戸市長田区野田北部地区の人々を見舞いに訪れた。 多くの家屋が焼失、全半壊していた。
 「みんなが多面的に生きていた。悲しんでいるだけでもなく、怒っているわけでもない。時には笑うし、バカ話もするし。 ああこういうことも伝えるべきだと思った」記録映画を撮り始めたきっかけを、青池監督はこのように語る。 4年が経過して、計10作(平均上映時間1時間)が完成した。
 撮影を始めた青池監督らについて、神田さんが当初、スタッフのこと、 この町が映画になることなども含めて意識する余裕など全くなかった。 「邪魔にならなかったけれど、こういう言い方を許してもらえるなら、 『友達やから』という感じで(そのうち自然に)受け入れるようになった」と話す。 青池監督は「知り合い以外は、近くまで行って撮ることができなかった。 『お前ら何しているんだ』と言われるのが正直怖かった」と苦笑する。
 時間をかけて人を紹介してもらい、理解を求めながら撮影を進めた。 「震災の全ぼうなんて、描けるわけがない。頭でっかちにならず、一つの地域に絞って、 そこで起きていることをなるべく丹念に追っていけばいい」。そんな方針に従って作業を地道に進めていった。
 震災後の町並みやボランティアによる炊き出し、家屋解体作業といった混乱の現場から始まり、 区画整理などによる新しい町づくりに伴う人々の葛藤を、〈町づくり協議会〉の活動を中心に追っていった。 「映画の中に出てくる会議の場面でも、話し合いの仕方がすごくオ−プンなんです。 それは震災後の人々の交流があったからこそ」と青池監督は言う。
 同地区には、新聞やテレビの取材陣も再三訪れた。 しかし、多くは、一過性の"訪問"で終わり、住民たちには単なる"邪魔者"としか映らなかった。 それとは逆に、神田さんは、青池監督らの存在を「何とも思わなかった」と表現する。 住民らに、そう思ってもらえることが、大切で、必要なことだった。 同地区では今、「日本人だけではなく、外国人も名前で呼び合える町」を目指した復興を進めている。 町の標識も朝鮮語、ベトナム語などの様々な言語で表わそうという動きもある。
 神田さんは「震災の日、ただ火事を見ていた。救護活動に走れなかった自分を思い出すと、穴があったら入りたい気持ちになる。 それは、近所の人の名前を知らなかったからだと思うんです。今では、多くの人と親しく話せる。 地域に住むベトナムの人も、これまでは『あそこの家に住んでいるベトナム人』というのが精いっぱいでしたが、 今は名前で呼び合えるようになった」と話す。
 青池監督は、これまでに自宅のある千葉県と神戸を88往復し、1000時間を超える映像をビデオに撮った。 地震が起きた『原点』と『現時点』だけでなく、その間のプロセスを省略しないで伝えたいと思ったいたら長い長い映画になった」と語る。 利重監督は「とても素敵なドキュメントだと思う。でも、全部見るには時間と体力がいる。 一つにまとめた形も見たい。それが見る側にとって、入り口になるだろうから」と言った。 その言葉に、青池監督もうなずく。時系列で編集しているため、各地で上映会を行った際、 「何を言いたいか分からない」との批判もあったという。 「この映像を素材に、今度は伝え手の思いがいっぱい詰まったものを編纂し直したい」。それが今の青池監督の思いだ。
 「人間のまち」シリ−ズの撮影は、3月下旬に地区内で行われる祭りを区切りに一応のピリオドを打つ。 「もちろん、復興が完全に終わったわけではないが、野田北部の人々の気持ちが、復興から普遍的な町づくりへと、 一つのステップを迎えているから」と青池監督は説明する。
 とはいえ、被災地から離れるわけではない。撮影活動のなかで、別に撮りたいテ−マが出てきたという。 それは被災地で生活する外国人をめぐる動きだ。
 まるで自分も被災地にいるようなシンポジウムの後、10作品が連続上映された。 最後まで見た人たちから「その時にしか撮れない貴重な記録(20歳代女性)、 「地震後のアフタ−ケアの方法を学んだ」(60歳代男性)、 「まるで自分自身も野田北部にいるような気がした」(20歳代男性)、 「もっと突っ込んで、社会的な視点も入れて描いてほしい」(50歳代女性)など様々な感想が聞かれた。
(読売新聞)


初のチ−ム作業でベトナム語聖書完成

 【ホ−チミン(ベトナム)2 月24日UCAN】ベトナム・ホ−チミン(旧サイゴン)教区のファン・ミン・マン大司教が、 30年近い年月をかけ、チ−ム作業で翻訳が進められた最新版ベトナム語聖書の完成式を主宰した。 「総力を結集した28年間の努力が実り、聖書翻訳チ−ムは、専門家から認められ、 広くカトリック界の支持も得ました」とファン大司教が1月31日、 ホ−チミン市第一地区にあるフランシスコ会が運営する小教区で司式したミサで語った。
 「翻訳チ−ムは、懸命な努力で、神のみことばをすべてのベトナムのカトリック信者にもたらしました。 今回の版は、神の啓示を実現し、普通のベトナム人信者にも分かりやすく訳されています。」 21人の翻訳チ−ムの一人だったイエズス会のグエン・コン・ドアン神父によると、 1913年から76年の間に、ラテン語ブルガタ版やギリシャ語・ヘブライ語の原典からの翻訳聖書が幾つか発行されたが、 そのすべてが宣教師個人とベトナム人司祭、信徒の作業だった。
 今回の注釈付き聖書は、244 ペ−ジで、計画の十万部のうち初回二万五千部の印刷が手配されている。
(カトリック新聞)


KFC 北米 STUDAY TOUR 報告

 10月 6日
 早朝、サンフランシスコの山手の公園に行くと、中国人の高齢者が集団で身体をほぐしている。 中国人に混じって白人の姿もちらほら、日本のラジオ体操気分かなと思ってしばらく見る。 9時に、神田さんの文章を見て感動してわざわざ神戸まで取材に来てくれたサンフランシスコにある ベトナム語の雑誌社"MO MAGAZINEの記者HIEN氏が自家用車で迎えに来てくれる。 一同もう一台のタクシーと分乗してサンフランシスコ近郊で最大のベトナム人多住地域、San Joseに向かう。
 10時30分、San Joseに到着、郊外の広々とした街並を抜けて大きな平屋のコンクリートづくりの事務所を訪れると、 すでに何人かの人が我々を出迎えてくれていた。出迎えてくれた団体は、 在米ベトナム人の自立支援を進めているVietnamese Voluntary Foundation(VIVO)という団体で、 San Jose近郊で最大規模のNPO団体であった。 VIVOの説明によると団体の設立は1979年、技術系の大学に通う4名の学生が地域社会に貢献したいという思いから実現した団体で、 現在より高い自己評価を奨励する活動、地域社会のリーダーシップを育成する活動、社会的・文化的調和の促進、 特定の集団の経済的独立の支援活動・前向きな家族を築くこと、社会への貢献を支援するという理念のもと、 @職業訓練、A就労斡旋(面接指導、就労継続のためのカウンセリング)、 B青少年と家族の相談、C犯罪防止プログラム、D英語教室、E市民権講座、 F通訳・翻訳サービスなどの事業を実施しているとのことであった。
 このように、かなり広範囲にわたる自立支援プログラムを実施しているVIVOの事務所は、 アメリカのオフィスらしく各々のスタッフのスペースはパーティションに区切られ、 各担当者のパーティションに各自の担当事業名と役職が掲げられている。 英語教室、市民権講座(アメリカ国籍取得のための授業....、 アメリカの国籍取得は申請許可ではなく一定の在住期間を得た人の試験による点数で取得するので、 アメリカの歴史、文化の基礎知識講座がNPOの事業にかなり重要なこととして位置づけられている)、 職業訓練というふうにスタッフも担当が決められており、 Diem D.NgoさんというExecutive Directorが全体の事業の統括責任者として働いていた。
 見学と説明を受けた後、阪神・大震災と神戸の在日ベトナム人の状況についての学習がもたれ、 50人の参加のもと、始めにVIVOの活動がOHPを使って説明された後、KFCが持参した「野田北部鷹取東の人々」のビデオの上映、 NGAさんによる講演、質疑応答と続いた。参加者の質問の中で特に関心の高かったものは、 日本における在日ベトナム人への差別と日本国籍取得の手続きに関するものであった。 また犯罪者に対する処遇の質問の中でわかったことで興味深かった事柄では、 アメリカでは犯罪者に対してベトナムへの強制送還も含めた厳しい措置がとられていることであった。
 約1時間半の学習の後、VIVOのスタッフ、理事との昼食をとりながらの交流会がもたれ、 運営、実践に関する意見交換を行ったが、その中でアメリカ全土に在住するベトナム人は25万人、 うちカリフォルニア州が最大の居住地域で60万人が住みSan Jose近隣だけで12万人いるとのことだった。 なぜこのようにSan Jose地区にベトナム人が多いのかということでは、 シリコンバレーというあらたな求人を生み出す産業地域があることと、 温暖な気候がベトナム人にとって住みやすいことが最も大きな原因のようだった。
 運営と資金については、VIVOの設立が学生4人ではじめたことは先にも書いたが、 現在は理事として11〜15人が運営の責任を負い、理事会のもとに有給スタッフが非常勤20名、 スタッフはアメリカ、メキシコ、カンボジア人と多様である。 ただ基本的にはスタッフはベトナム人主体であり、就労や翻訳などは当事者性が重視されていた。 英語教室については、ここでも合理性の国、アメリカらしく発音や文法の理解を考えてか白人のアメリカ人女性が担当していた。
 予算については、設立には連邦、州から立ち上げ資金が提供されたのことで、 年間の運営資金は現在まで最も大きい100万$、 その内の90%が連邦や州政府といった公的資金でまかなわれ10%を企業や民間の寄付で充当しているとのことであった。 資金のほかにコンピューターやプリンターなどは、現物で地元の企業から寄贈されることもあるとのことであった。 予算をめぐる問題点としては、公的資金を得て実施するプログラムには、 実施にあたってスタッフの30%以上はボランティアであること、 総予算の50%が自己負担とであるという制約があり、 うまくいかないことが多いという悩みは日本と同様の悩みであるように感じられた。
 また公的予算を使ったプログラムは、年間の実績(職業訓練プログラム受講者の就労者数など)によって決まるというように、 かなりシビアな評価で予算請求がなされるなど、 NPOが社会的に位置づけられている故に結果について責任が求められる社会であることが見られた。 団体の事業のほかにアメリカ社会一般の話としては、アメリカにおけるマイノリティーの就職、 昇進の差別とアファーマティブ アクション(少数者優遇制度)の質問に対して、 VIVOの理事長の話によると、雇用、昇進については、中間管理職までは本人の能力が優先され、 上級職についてはいまだにマイノリティーへの差別は残っているとの評価だった。
 近年、逆差別ではないかと話題になっているアファーマティブ アクションは、 カリフォルニア州のバークレーでは廃止されたが、まだ社会的には定着しており、 少数者の権利擁護はシステムとしてアメリカ社会に位置づけられていた。 教育システムとして民族教育については、ベトナム語が単位として認められているのは、 サンノゼ大学とサンディエゴ大学であり、 子供のための民族教育は土、日の休みに学校を利用して行われていて1,000人を超える生徒が学んでいるとのことだった。
 VIVOを訪れて感心したことは、我々日本からのNPO視察ツアーを自らの団体のプレゼンテーションの場にしていることであった。 学習会の場を地元の新聞などに掲載してもらい地域のベトナム系住民を集めた上で、 学習会の進め方もまず自らの団体の活動紹介をOHPを使って行うPRを前面に出していた。 要するにVIVOの活動は、日本からも視察にくるほどすばらしいものだと地域住民(利用者)にアピールしており、 この行動様式はもはやNPOというより企業に近いという印象をもった。
(金 宣吉)


外交樹立の交渉へ
バチカン使節ベトナム訪問

 [バチカン3月4日CNS]バチカンの使節が3月中旬のベトナムを訪問し、外交関係樹立に向けた交渉に臨む。 同国の共産党政権との関係改善への重要なステップとなる。 教皇庁広報局のホアキン・ナバロ・=バルス局長は3月4日、 国務省外務局次長のチェレスティーノ・ミオーレ神父を団長とする使節団がハノイを訪問し、 ベトナム政府高官と、外交関係や教会・国家間の問題について交渉する、と発表した。 福音宣教省が運営するFIDES通信によると、交渉は3月15日から19日に予定されているという。 ここ数年間、バチカンは何度もベトナムに使節を送り対話を続けてきたが、実質的な成果は上がっていなかった。 FIDES通信によると、ベトナムの司教たちは、外交関係樹立の可能性ついて慎重ながらも希望を表明しているという。
 ハノイ大司教区のファン・ディン・トゥン枢機卿は「ベトナムの全国民が、外交関係の樹立を希望しています。 一つには、それにより教皇様のベトナム訪問への道が開かれるからです。 私は既に、政府に対して公式に、教皇訪問招請の許可を申し入れましたが、今のところ何の回答もありません」と語った。
(カトリック新聞)


ベトナム
不思議な魅力を発するベトナムの人々

 1986年からドイモイ(刷新)政策を探っているベトナムですが、外国からの観光客が増え始めたのは、90年頃からです。 観光を目的をする日本人渡航者数も、90年に880人だったものが、95年には約41,000人と、急激に増えています。 94年10月に、関西国際空港からホーチミン市までの直行便が就航してさらに便利になり、昨年、一昨年と5万人を超えています。
 昨年本を出しまして(編集局注 メコン刊『ベトナムのこころ』。 本年2月号の「この人のこの一冊」欄で取り上げています)読者の方からベトナムに行って人生を考え直したとか、 本を読んでまた行きたくなったという手紙をいただきます。 旅行者は、20代〜40代くらいまでのパックパーカーが多いようです。 ベトナムにはエアコンやお風呂、テレビもついたミニホテルが町の真中にたくさんあって一泊最低5ドルくらいで快適にとまれます。 お金のある観光客用にデラックスなホテルもどんどん建っていますが、 そういうホテルには2割ぐらいしか客が入っていない。ミニホテルの方が需要が高いようです。
 旅行者の男女の比は半々くらいだと思います。 ベトナムのどんなところがいいかと聞きますと、女性は、まず食べ物がおいしいのがいいということです。 ベトナム料理はハーブをふんだんに使うので、最近のダイエット志向に合ってあっているのが、女性には魅力なんでしょう。 それから民族衣装のアオザイ。最近は日本でもブームですが、機能的でかつ女性らしい。 化繊の安いので40ドルから50ドルくらい。シルクで80ドルくらいで最高品が手に入ります。
 ベトナム人の魅力も大きいようです。 ベトナムの男性はフランス語でいう「ギャラン」−女性を騎士道的に大切にして、たてるんです。 最近は日本の男性もずいぶん変わってきたといいますが、ベトナムでは、女性に荷物を持たせたり、 お酒をつがせたりということを絶対にしません。 また、ベトナムの女性は個性がはっきりしていて表情が豊か、アオザイをすっきりと着こなした姿も美しく、 頭が良くて相手の気をそらさない。そんなところが素晴らしいと言います。 司馬遼太郎さんが、1973年に旧サイゴンに行って、そのときのことを『人間の集団について』という本にしています。 その中で、戦争中の大変なときだったにもかかわらず、ベトナム人というのは人間的な暖かさを自然に発散している人たちですが、 それはなぜなんだろうと、しきりに書いています。そういう不思議な魅力がベトナムにはあるんですね。 そして昔は日本にあった暖かい家族関係、そんなものがベトナムには残っていて、それは旅人にも十分に感じとられるんです。

 ホーチミン市には多発するひったくりやすりに注意
 まあ、これはベトナムの良いところで、こんな素晴らしい人たちがいるにもかかわらず、 すりやひったくりが横行していて、これもまたなぜなんだろうと。 人間の社会ですから、良い人もいれば悪い人もいるのは世の常でしょうがないと思いますが、そう言いたくなるくらい、 ベトナムでは、すりやひったくりが多いんです。 もっともベトナムと言っても、これはホーチミン市の特殊現象で、解放前のサイゴンの時代からずっとそうでした。 (いわばサイゴンの名物です)。私が初めてベトナムに行ったのは1972年で、 大使館、総領事館に勤務して10年在住していますが、何回そういう目にあったか分からないくらいです。 最後に住んだのは、93年の9月から95年の10月、その後も去年のテト(旧正月)、 昨年の暮れから今年の正月にかけて、そして3月にも行っています。 最後に在住したときには、3回、胸ポケットに入れてあった金色のボールペンをすられそうになりました。 3回ともすろうとした人を捕りおさえて、さすがベトナム生活に長いだけあると自画自賛していたら、 その後ひったくりにやられてしまいました。シクロに乗ってホテルに着いて、さて降りようとしたところで、 ついに持っていた手鞄を道路側の手もたれに置いたら、後ろから近づいてきたバイクの二人乗りにあっという間に持っていかれてしまたんです。 ひったくりはそういうバイクの二人乗りが多く、ベトナム人もよく盗られています。 私の妻もベトナム人ですが、その母も市場で何度も眼鏡やバッグをひったくられて、音をあげています。
 ただし、それ以外に、ホテルでものを盗まれたとか、睡眠薬強盗にあったとか、そういう話は聞きません。 とにかく、すりとひったくりが多い。それも場所は日本の領事館やサイゴン市場、市民劇場の周辺などの中心部に集中しています。 人込の中を歩くときは、何も持たずに両手を空けておくか、何かを持つ場合は、しっかりと胸に抱えておくことです。 被害にあって、こんなひどいところにはもう来ないという旅行者も中にはいますし、 その一方で、全体の印象を考えると、こんな悪い人はごく一部に過ぎないと思ってくれる人もいます。 そう思ってくれる人の方が多いようですけれど、旅の思い出を悪くしないにこしたことはありませんから、気をつけた方がいいです。
 日本の管理から離れて「何もない」ベトナムを楽しむ最近の日本の若い人たちは、むだなお金を使わずに倹約して、 その代わり、自分の好きなものにはお金をかける傾向があるということを、新聞で読みました。 ベトナムはその点「リサイクル」が徹底していて、決してものを捨てないし、何もむだにするところがありません。 日本に比べれば貧乏ですが、その中で工夫しながら楽しく生活をしています。 そんなところは、大いに学ぶところがあるんじゃないかと思います。
 ベトナムにはそんなに観光資源があるわけではありませんが、メコンデルタの緑豊かな風景を見れば、心がやすまりますし、 ホーチミン市の郊外には、かつてのゲリラの隠れ基地が、観光名所のひとつになって残っています。 ありの巣みたいに、地下三層になっていて、日本人は二層まで行くのがやっとです。 三層まで行くと、川に出て潜って、川から地上に出て来るんです。 そういうのは日本人の日常意識から離れた世界だから、面白いかも知れませんね。
 最近カンボジア国境に近いシャム湾に浮かぶ、フーコック(富国)島という島で一ケ月暮らしたという人に会いました。 ベトナム料理に使うヌォックマン(魚醤)の生[産地で、20年くらい前に私も行ったことがあります。 本当に何もない島ですが、その人は、その何もないところが良かったと言っていました。 他にも、ベトナムを北から南まで旅行して、何が良かったかといって、 それぞれの土地で、いろんな人と会えたのが楽しかったという人もいました。 名所旧跡回りをしたくても、あまりないところですから、そうやってゆっくり日本の管理社会から離れて、 現地の人と触れ合うのがいいんじゃないかと思います。
皆川一夫(外務省外国人課主席事務官)


ベトナムに百数十億円
「特別円借款」の第1号

 政府は18日、アジア経済危機の影響を受けた国への支援と、 日本の景気下支えを目的に99年度から新設される「特別円借款」の弟1号として、 ベトナムに百数十億円を供与する方針を固めた。ベトナムのファン・バン・カイ首相が28日に来日するのに合わせ、 供与の意図を伝える予定だ。
 特別円借款は、小渕首相が、昨年12月の日・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で創設を表明したもので、 99年度から3年間に総額六千億円を供与することにしている。 アジア諸国の失業対策となる公共事業に対象を絞る一方、 元請け先を日本企業にに限定することで日本企業を"支援"し、 日本経済の再最活性化も狙っている点が従来の円借款と異なる。 年利1%、償還期間40年の優遇金利が適応される。 第1号の対象条件は、ハノイ市内を流れる紅河とホーチミン市南郊のメコン川にかかる二つの橋建設事業などで、 総額百数十億円となる見込みだ。
 特別円借款には、ベトナムのほかタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンなどからも要請が寄せられている。
(読売新聞)


新司祭誕生
全世界に神の御言葉を

 ホアン・ミン・マン神父
「主は皆さんと共に」と昨夜は夢にまで唱えました。ここ迄来られたのも皆様方のお陰です。 ミサは司祭の命です。これからもよろしくお願い申し上げます。
 グエン・トルン・ジュン神父
 子供の時、母に尻をたたかれてミサにいきました。 ボートで国を出た時に「毎日ミサに行きますから助けてください」と祈りました。 今日から毎日ミサをたてるようになりました。皆様、これからも私の尻をたたいてください。 同時に飴もおわすれなくお願いします。
神言会で3月13日に叙階されました。 おめでとうございます。


クックさんから
 ご援助くださっている皆様
 ご機嫌よう!いろいろお世話になっております。お陰さまで2年生になることができました。 学校では、みんなと勉強しながら仲良く楽しんでいます。ここ迄やってくることができましたことを本当に心から感謝しています。
 これからも努力して頑張りますので、またどうぞよろしくお願いいたします。
グエン・ティ・キム・クック 暁星国際高等学校在学


チョットひとこと

 西暦2000年までの日々も、ある意味では残り少なくなった現在、 いまだに絶えることがないニュースは「戦争」のことです。 民族、国家間の紛争をはじめとして、個人的な問題にいたるまで、 情報の暗い部分には必ずといってもよいほど「戦い」の様相が見いだされるようです。 戦いの表情は、悲しく、怒りに震え、鋭いまなざしにもかかわらず涙があふれています。 勢いよく機上の人となって目的地に爆弾を落とすことに成功した兵士も、 人間本来の喜びを胸に帰還することはないでしょう。戦争に勝ったという意識と純粋な満足感は相い入れられないと思います。
 現在、私たちの目の前には、自然環境を大事にすること、人権を擁護すること、 経済の流れと力関係や大量破壊兵器に関する問題などがうず高く積み上げられています。 文化も発展して豊かになり、文明も高度な領域に入って宇宙にも行かれるようになった今、 一方では「難民」が増加する事実が伝えられています。 こうして、私たちは多くの矛盾を抱えながら生きているというのが、現実ではないでしょうか。
 競い合うことは、進歩にもつながるのでよいことだと思いますが、 単なる競争であれば敗北者を生み、人間としてのモラルに欠けていれば、悪いことも平気でするような種をまいてしまいます。
 豊かな生活、人間らしい生活をすることは理想です。 しかし、現実には悪い空気を吸って、ゴミの山積するところで生活しなければならないのです。
 機械は本当に便利で、時間も節約できるし、正確なデーターも出してくれます。 しかし、使い捨てられる物の処理にも、マニュアルなしに操作できない物が増えたことにも問題があるようです。
 私たちは、それぞれの分野で研究したり働いたりして何らかの結果を生み出しています。 しかし、一方において長年かかって築き上げてきたものを一度破壊してしまい、 また、人の生命をも奪ってしまうような危険な手段も考えられ、実際に使われています。 人間の知性と責任の関係はどうなっているのでしょうか。
 今回編集された記事をとおして、国家間の問題や共同体の意味など、 非常に大きな、そして根の深い課題が投げかけられたように思います。

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