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チョットいいこと 78

聖母にも開放路線
経済再建頼り宗教界と妥協図る
ベトナムで出現二百年記念
交流深め、3日間の集い
難民事業本部に要望書提出
「ともに」の意味を味わった2日間
群馬ベトナム人協会
苦しみを荷なった人々の隠された力
チョットひとこと



聖母にも開放路線

 カトリック教徒700 万人を抱え、東南アジアではフィリピンに次ぐベトナムの中部クリアンチ省の村ラ・バンで、 聖母マリア顕現200 周年記念行事が12日の前夜祭で幕をあけた。 =写真はロイタ−=。伝説によれば、200 年前この地域で信者らの前に聖母が現れたとされ、 3日間の祭礼には各地から数十万人が訪れる。 仏植民地時代の置き土産でもあるカトリック信仰は「外国敵対勢力」の先兵として常に党指導部の警戒の的だったが、 同国はバチカンとの関係改善を望んでいるため、今回は祭礼を黙認している。 (ハノイ支局)
(読売新聞)


経済再建頼り宗教界と妥協図る

 共産党支配の続くベト ナムで静かな"カトリ ックの復権"の動きが 注目を集めている  ハノイ支局 渡部恵子

 ベトナム中部クアンチ省のラ・バン、村の教会で、さる13日から3日間、「聖母マリア顕現」の二百周年記念行事が行われた。 共産党機関紙、「ニャザン」紙は一面で、国営英字新聞紙「ベトナム・ニュ−ス」も三面に写真つきで掲載した。 伝説によれば、1798年、迫害を受けた信者らの前に聖母マリアが現れ、彼らを守ったという。 欧州では、フランス南部のルルドやポルトガルのファティマなどの聖母顕現の地に、多数の巡礼が訪れている。 だがベトナムでは、カトリック教会が十分な広報活動を行えず、一般国民の間にラ・バンの知名度は高くない。 さらに政府は、混雑の危険があるとして、旅行業者に対し、同行参加ツア−の広告も禁止した。 にもかかわらず行事は二十万人とも言われる信者が押し寄せ、カトリックの根強さを見せつけた。

 体制の潜在的脅威
 同国では昨秋にも、南部ドンナイ省で、カトリック信者多数が、 元教会所有地の使用権をめぐり地方当局を相手に抗議行動を起こし、暴動化したと伝えられている。
 かつて南北を分断した北緯17度線から三十余キロ南のラ・バンは、 ベトナム戦争中北からの共産化の波に抵抗する、南の最前線だった。悲惨な内戦の爆撃痕が、 同教会にも残されている。その北の系譜を引く現政権にとって、 国家人口七千五百万人の中で信者が七百万人を占めるカトリック教会は、体制的脅威となりかねない。
 だが、国家経済建て直しのためには欧米に頼らざるを得ない。 そこで党は、現在も国交を持たないカトリック大本山・バチカンとの関係改善を通じ、教会と信者を体制側に取り込もうとしている。 今年三月には、三年近く空席だったホ−チミン市大司教区(信者数五十万人)の大司教が決まった。 人事を巡りベトナム当局とバチカンが衝突したが、当初の指名をバチカンン側が撤回、 二人目の候補をベトナム側がのむ形で妥協を図った。さらに先月、ベトナム政府は、 「宗教上の不寛容」に関する国連特別報告者の入国を、 要請から三年ぶりに受け入れと発表した。
 また今回の聖母顕現祭では、ロ−マ法王の言葉を託されたベトナム人枢機卿の式典出席を容認。 同教会が所属するフエの司教区を、党と人民評議会の省の幹部らが訪れ、行事が無事に行われるよう支持を申し出た。 党機関紙などの異例の報道も、こうした動きの一環といえる。

 共産党のジレンマ
 共産党政権はこれまで、仏植民地時代の遺産でもあるカトリック信仰は「外国敵対勢力」の道具だと、警戒してきた。 現在でも「宗教に偏見を持ってはならないが、 宗教は管理されていなければならない」(レ・カ・フュ−党書記長)との基本的立場は変えていない。
 だが、信教の自由は、制限付きながら憲法で保証されている。まして対外関係を 考えれば、もはや教会活動へのあからさまな干渉は復活できまい。宗教の自由が、 「政治の自由」に直結しないよう、同政権はジレンマの種をまいた恰好だ。
(読売新聞)


ベトナムで出現二百年記念

 【ラ・バン(ベトナム)8月13日ロイタ−共同】

 十万人(読売新聞では二十万人)を超すカトリック信者が八月十三日、ベトナム中部のラ・バンで、 聖母マリア出現二百周年を記念する祭典で、祈り、涙を流した。  十五日までの三日間に及ぶラ・バンの祭典は、共産主義体制のベトナムで開かれたカトリック関係の行事では過去最大規模のもの。 当日の警察当局の発表によれば約十万人とのことだったが、その後数千人が到着しており、ラ・バンの町には、 テントがあふれていた。「この二世紀にわたる聖母マリアのメッセ−ジは今も生き生きとしています」と、 フエ教区使徒座管理区長のグエン・ニュ−・デ−大司教は、集まった人々に語りかけた。 
 「絶えることのない希望を胸に、すべての巡礼者たちが聖母に会いに来ました。 全国のすべてのカトリック信者のために、私はこの祭典の開会を宣言します」というテ−大司教の言葉は盛大な拍手に包まれた。 ベトナムの総人口七千八百万人のうち約八百万人がカトリック信者で、 東南アジアではフィリピンに次ぐ大きな共同体を形成している。 近年、宗教の信奉をめぐる雰囲気は和らいできたが、各宗教団体は依然として規制にさらされている。 五月には、ベトナム共産党のレ・カ・フュ−書記長が、ラ・バンの祭典への参加に対する規制は、 困難な経済情勢下で政府が進める倹約政策の一環だと語っている。
 ところが、どんな規制も、古都フエの北60キロのあるラ・バンへ向かう人々の熱意や感情を抑え込むことはできなかった。 巡礼者たちは、一日中、聖母が出現したとされる場所の近くに安置された聖母像に、 接吻したり、手を触れたりしながら涙を流していた。
 この祭典に寄せられた教皇のメッセ−ジは「ラ・バンに来られたすべての巡礼者の方々、 聖母にベトナムの人々への希望を願う人々、 そしてイエスに従うすべての人々と国外に暮らすすべてのベトナム人信者のために、 この聖母ゆかりの地で、十全な信仰を得ることができるよう願います」と祈っている。
(カトリック新聞)


交流深め、3日間の集い
在日ベトナム人共同体 裾野

 1975年のベトナム戦争集結以来、日本に難民として来た人たちが定住して約20年になる。 このベトナム人のカトリック共同体が、このたび初めて「ラ・バンの聖母祭」を、 8月13日から15日、静岡県裾野市の不二聖心女子学院敷地内で開催した(信徒大会としては87年に続いて2回目)。 ベトナムのカトリックの歴史は1550年代から始まるが、その後は日本のカトリックと同じ迫害の道をたどる。 ラ・バンの聖母の出現は、迫害が最も厳しかったころのことで、 この出来事を信仰のうちに記念しようとした村人たちの思いは、迫害によるキリスト信者とともに消滅したかに思われていた。 しかし、信仰の自由に伴い、信徒発見と同時にラ・バンの聖母への崇敬も復活し、 1901年から巡礼と、年に一度の聖母祭が行われるようになった。 以後約百年の間に何度かの戦争などで中断されたが、今回は第25回聖母祭を祝う。
 快晴に恵まれた13日の正午過ぎ、広場の周囲は宿営のテントと関東、 関西から集まった人たちの130 台以上の車で埋め尽くされ、 その広場で4時から行われた5人のベトナム人司祭によるゆるしの秘跡は、7時過ぎまで続いた。 同国人司祭から母国語で霊的指導を受ける機会が少ない彼らにとっては大切な時間であった。
 7時45分、聖母祭の開幕ミサを司式した東京教区のゴ・クァン・ディン神父(豊田教会主任)は開祭にあたって、 当日は、ベトナムのラ・バンでも同じ時刻にフエの大司教を迎えて聖母祭が行われており、 200 年前のラ・バンの迫害のときに信者を励ました聖母は、 今日までずっと自分たちを励まし続けていると述べて故郷をに思いをはせ、 説教の中でラ・バンの聖母祭の由来について述べた。
 ベトナムで迫害が最も激しかったころ、信者たちは森の奥に逃れてひっそりと暮らしていたが、 伝染病や毒蛇などで苦しめられ、泣いて聖母マリアに訴えていた。 そんなあるとき、聖母マリアが彼らにお現れになり、一つの木の葉をとって、それをせんじて飲むように言われた。 人々がその通りにすると病気が治り、聖母はその後何度もお現れになったという。 
 本国ベトナムでは、10年ほど前から同国司教団の承認と巡礼の推進もあって、ラ・バンの聖母への巡礼者は、 政府からの圧力にもかかわらず、年々増え続けており、 現地警察の発表では当日10万人がラ・バンを訪れたというが、 実際の数は30万人ともいわれている。 日本では、約1,500 人といわれる全国のベトナム人信徒の約三分の一以上が参集した。
 1,500 人という数は多数とはいえないが、現在、ベトナム共同体の司牧担当をしているのは、 東京在住のただ1人のベトナム人司祭だけであり、 関西方面に在住する彼らの司牧を専門に担当する司祭の派遣要請が参加者の中から強く出されていた。 近いうちに叙階されるであろう幾人かを含めれば、 10人くらいになるベトナム人司祭の何人かを彼らが所属する教区や修道会の事情を考慮した上で、 ベトナム人共同体全体の司牧にあたるよう配慮する必要があるのではなだろうか。
 ラ・バンの聖母祭は、14日夕方の聖母行列とそれに引き続くミサ、さまざまな催しによって夜を徹して盛大に祝われ、 翌15日、聖母被昇天の祭日を祝って集いは無事終了した。
(カトリック新聞)


難民事業本部に要望書を提出

 7月1日付けで、KFCとカトリック難民定住委員会は難民事業本部長宛に要望書を提出しました。 内容は財)アジア福祉教育財団難民事業本部が出版している 日本通信教育副教材の雑誌「こんにちは」11号に掲載された記事 (永住と帰化について扱ったた見開き2ペ−ジの体裁で作られた部分)についてでした。 以下はその内容についてです。

 『....(前略)....永住者になるための条件をフロ−チャ−トで説明するのに1ペ−ジ、 帰化についてインドシナ難民自身の声を掲載する形で1ペ−ジとっている記事ですが、 永住者になるためのフロ−チャ−トの中味を見ると、永住資格をとれる外国人は素行が善良で、 経済的に自立している人達であり、そうでない者には永住の道がなく、帰化の項目では、 帰化しないとの答えとして、「年をとったら母国へ帰って暮らしたい」 「将来帰国して国の役に立ちたい」「(帰化したいが)日本語がじょうずでない」 「日本で生活いく自信がない」と書かれています。それに対して、 帰化すると答えた者のコメントには、「将来、母国に帰ることはない」 「遊びにいくだけ」「日本で生きていくには日本人になったほうがいい」 「子供の将来を考えた」「日本で生活していく自信がある」「日本で育ったので母国を知らない」 「自分のいる所は日本だ」といった表現があります。編集者は、永住資格をとるための手順を説明し、 インドシナ難民自身の帰化に対する意見を集約しただけだと言われるかも知れません。 しかし、なぜこれほど社会的強者だけが日本の社会に適応できるというような記事が、 日本語通信教育副教材に必要なのか私どもには理解ができません。
 アジア福祉教育財団難民事業本部の日本語教育とは、現在の法務省が日本の社会にとって 「いい子」だけに法的保証を与える実務を無批判にインドシナ難民に伝え、 生活が自立していない人達やその子どもたちに劣等感を抱かせるような記事を、 日本語副教材と位置づけられている機関紙に掲載することなのでしょうか。
 帰化したインドシナ系住民の「自由」とあるのは、日本国籍がないと「自由がない」と感じているあらわれであり、 日本語教育に携わる人達が当事者たちの声に対してどう取り組むべきであるかの視点が全く読み取れません。
 外国人のサポ−トとは、知識や情報を外国人住民自身に伝える作業が大きな位置をしめますが、 その内容に外国人住民の生活や歴史、民族性などを卑下させ、 当事者たちが自己否定するようなものが入っていく危険性があり、今回の記事の内容には問題があると思われます。 また帰化と永住のフロ−チャ−トの経済項目については、日本人や永住者の配偶者、 子どもたちには免除される事実が抜けていたり、 帰化した当事者の声の「公務員になれる」といった記事には事実誤認を生む問題もあります。....(後略)....』
 上記の内容で、「永住と帰化」に関する記事掲載の意図、インドシナ難民の意見の集約方法、 事実誤認を与える問題についての意見、 内容が社会的に自立困難な外国人の問題に対する認識がないと思われる点についての意見を問い合わせました。
 それに対して7月9日に回答書が送られてきました。その回答書の最後に「....ご意見につきましては、 それはそれとして拝聴いたしますが、今回のような批判的コメントを頂いたのは、 貴団体のみでございます。私どもといたしましては、 難民支援という共通の目標に向かって日々努力している我々諸団体が、 他の団体の活動についてその独自性や自ら得意とする分野を理解しつつ、 それぞれの活動の発展を図りたいものと考えております。」
 私見ですが、やはりこちらが伝えたいことは理解できないようですね。 私たちは一人一人の人間の尊厳について支援する側(共に生きる側)がもっと敏感でなければならないということを言いたいのですが、 仕事内容にケチをつけられたということしか頭にないようです。 尊重し理解されなければならないのはそれぞれの支援団体ではなく、 支援を受ける立場になってしまっている外国人たちのことであるはずです。 護身だけにまわっていることがとても残念です。また、事業本部はその他のボランタリ−団体とは明らかに立場が違っています。 日本の国の政策として我々の税金によって活動されている国の外郭団体です。 国民の小さな願いを受け入れられないものであってはならないはずです。 弟や妹であるボランタリ−な団体の頼もしい兄や姉であってもらいたいものです。
神田 裕


「ともに」の意味を味わった2日間
第15回難民懇談会に参加して
駒込 直美

 晴天の9月12日(土)、昼下がり、私は、人影まばらなJR潮見駅に降り立ち、 日本カトリック会館に向かいました。第15回難民定住懇談会に参加するためです。
 この懇談会は、ご承知の通り、 当機関紙「チョットいいこと」を発行している 「カトリック難民定住委員会」主催のもので、今回の議題は、日本在住ベトナム人の連絡会結成に向けて、というものでした。 以下では、この会議の正式な報告とは別に、私個人の見聞きし、感じたことを中心に、 懇談会の雰囲気を少しでもお伝えさせていただければ、と思います。
 まず、お伝えしたい場面の第1は、最初に行われた自己紹介です。 ご存じ、ベトナム出身で日本国籍を取られた竹内麟太郎師が、とてもユニ−クに司会進行をなさいました。 ベトナム出身の方で日本語の自己紹介に少し自信がなく戸惑いをみせたような時にも、麟太郎師は、 おどけた調子で、かつ温かくフォロ−をなさいました。 例えば、日本語の自己紹介で「パスする」と言った方の後を受けて 「皆さん、これで、この方のことを、却ってよく覚えましたね。 顔もよく覚えましたね。お隣の方より白髪が多いですね」とおっしゃって、皆を笑わせました。 また、日本語で充分に伝えられなかったと感じて苦笑し黙り込む方に対して、 「あの、拍手しましょうか?」とおっしゃって、また皆を笑わせました。 もっとも、ベトナム出身の方がほとんどが、込み入った内容を含めてさまざまなことを日本語でお話なさいました。 そのことは、ベトナム出身の皆さんが既に持ち合わせている「実力」と「心意気」とを示すものでした。 でも、インフォ−マルな場ならともかく、フォ−マルな会議の場ではそうした充分な「実力」や「心意気」を持つ方であって、 どうしても「緊張」や「不安」を感じがちになると思います。 そんなとき、皆さんの「実力」や「心意気」の強さに尊敬を払いながらも、同時に、 わずかなに残る「緊張」や「不安」にも心配ること。それは、微妙だけれど、 とても重要なバランス感覚であるように思います。 「ともに」に歩むことを考えるにあたって、 麟太郎師のユニ−クな司会進行はこのバランス感覚の大切さをさりげなく示していらっしゃったように感じました。
 お伝えしたい場面の第2は、なんと、この懇談会の場が、 神戸のFM放送につながったことです。もう少し正確に言うと、 こうです。神戸のカトリック鷹取教会の敷地内に「FMわいわい」というコミュニティ放送(半径10 Km 内対象の放送局)があり、 8カ国語(ベトナム語・タガログ語・英語・スペイン語・中国語・韓国朝鮮語・日本語)で放送を行っています。
 その放送局の「MIDNIGHT ねね」という番組(土曜日23:00 〜 24:00)に、 懇談会参加中の神田 裕師、金 宣吉さん、ハ・ティ・ガさん、タン・ティ・ヴィンさんが電話を介して「出演」したのです。 ジョ−ク混じりの近況報告の中で、懇談会の模様も少し紹介されました。 4人のそばで私を含む数人は、アルコ−ル飲料への手を止め(夜の交流会の時間でしたので)インタ−ネットという文明の利器を通して、 その生放送に聞き入りました。この生放送に立ち合ったことは、私にとって驚きであり、大きな経験でした。 「当事者が自分から発信することは必要であり、かつ可能である」。 金さんと神田師が何度も繰り返しおっしゃっていたことが、現実のものとして理解できました。 なんていったって、ベトナム人のベトナム語による、ベトナム人ための番組が、この日本社会の中で進行中なのですから。 ベトナム人のための、いいえ日本人のための番組である、と言うべきでしょう。 この日、金さんが、「基調講演」でおっしゃっていた言葉も思い出しました。 「(日本社会の中で、卑屈になるのではなく、)自分がいるかから社会は豊になる、と思ってほしい」。 その言葉通りさまざまな背景をもつ人々が一つの場に「ともに」いることでこの社会が豊かになりそうな予感が、強まった一時でした。
 お伝えしたい場面の3は、懇談会のシメとして行われたミサです。 毎月2回ベトナム語で司式しておられるという石川能也師と、助祭のグエン・トルン・ジュン師の司式で、 ベトナム語と日本語とを織りまぜて、行われました。参加者の手には、 約1カ月前に「カトリック難民定住委員会」から発行されたばかりの小冊子、 『ミサの式次第 日本語−ベトナム語』がありました。司祭がベトナム語で言えば、 会衆もベトナム語で、日本語で言えば、会衆も日本語で。一方から他方へとスム−ズに移行するのが、 不思議なようでもあり、でもとても自然なことのようにも感じられました。ジュン師の力強いお説教、 ベトナム語の聖歌の甘く美しいメロディ−。 それらを聴いていると、私たち一人一人の力量を超えたところで、やはり何か大きな力がはたらいているにちがいない、 という感覚が湧き起こってきました。
 「神様」とは、あえて言わない方がいいのかも知れません。 この、何か偉大な力に包まれている、という感覚を通して、 私自身にも、互いに認め合うことが自然にできるような、素直な心が与えられた、という気がしました。
 2日間の懇談会は、都内の一大学院生である私に、何か「大切なもの」に触れる機会を与えてくれました。 最後になりましたが、目立つことなく、しかし率先して裏方のお仕事をなさった方々にも敬意と尊敬を捧げたいと思います。
 帰り道、昨日と同じ道を通って、JR潮見駅に向かいました。昨日と同じく一人でしたが、気分は違っていました。 懇談会でお話しした方々と、なんとなく心がつながっているような気がして、心地よさを味わいながら歩いていました。


群馬ベトナム人協会

 まえがき
 皆様、お元気でしょうか。
 故郷を離れている私たちの心の底にはいつも自分の生まれた故郷への思いが絶えずあります。 離れている状況に置かれても私たちは祖国ベトナムのために、何かを貢献することができると思っています。 事実そうです。この豊かな、しかも世界先端技術の場に立っている国日本において、 我々はその準備としていろんな知識を蓄える素晴らしい機会が数え切れないほど恵まれています。 一方、周りの日本人たちの中に溶け込み、心を開いて理解し合っていくことによって、 彼らは私たちのことも知るようになるし、ベトナムという民族も分かってもらえるチャンスになるのでははないでしょうか。
 皆様ご存じの通り1980年2月から日本政府がベトナム難民を受け入れることになったわけです。
 あっという間に18年が過ぎ、最初の頃日本に定住するベトナム人の数は少なかったのですが、 今では日本全国あちらこちらに定住しているベトナム人の数は1万人ほどいます。 群馬県だけでも642 人います。その中に伊勢崎市394 人、前橋市57人、 館林市36人、太田市32人、赤堀町14人、桐生市11人、その他の市町村では94人くらいいます。
 私たちの今までの長い亡命生活においてはそれぞれ置かれた環境が違いますが、私たちは色々な思い、 悩みを抱えながらも将来に向かって希望や夢を抱いています。 たとえ、それぞれの生き方が違っていても、同じベトナム人という呼び名を持っています。 そうです、帰化したとしても、永住または定住したとしても、私たちはベトナムに心の故郷を持っております。
 1994年1月の阪神大震災後、開始されたFMCOCOLO放送局は多国語であり、14カ国語を放送し、 その中に"故郷の声"というベトナム語放送が在関西ベトナム人の生活振りや文化、 習慣、風習を維持する目的で毎月2回放送されています。 そのため、この群馬県における私たちはベトナムの生活習慣、文化、 風習などを維持する目的と私たちの相互理解を深めるために『あかつき』という週報の発行が決定され、 実施に乗り出しているところです。この週報はあくまでも、非宗教的、非政治的であり、 私たちの生活の中に起こっているあらゆる事柄を分かち合うために作られているのです。
 ご存じの通りベトナム協会に経済的にも時間的にもまだ余裕が無いので、とりあ えず年4回、毎回200 若しくは300 部のリズムで会報の配付をしていきたいと思っています。 尚、この会報の発行にあたって、皆様からの貴重な意見や原稿、その他の援助などを心から待っています。 それがなければ、私たちの力だけではとうてい上記の目的が達成できないのです。
 最後に、どうかいつも健康に恵まれますように。


「苦しみを担ったた人々の隠された力」

 ベトナムにいれば、普通の生活ができたのに、日本へ来てしまったので 「ことば」や「習慣」の違いに苦しみ疲れて精神的な病気になってしまった不幸な人々がいます。
 現在「あかつきの村」にはそのような人々が約10名おります。 心が優しすぎる人や感じやすい人は心の病気にかかり易いと思います。 苦しみや悲しみを普通の人々の数倍も強く、しかも鋭く感じてしまう人は心の傷もそれだけ深く、倒れる性向をもっています。 しかし、性格は本人の責任ではありません。遺伝的なものと幼児期の生活環境が大きく左右します。
 その人達を癒し元気づけることのできるのは薬品ではなく、心の会話です。 またその心の通う会話は、私たちの心をより優しく人間らしい心へと変えてくれます。
 不幸といわれる人達は不思議な力をもっています。まさに平和な世界への出発点です。
石川 能也


チョットひとこと

 最近、心の暖まる良いニュ−スに接することが少なくなりました。 このような情報化時代に生活する私たちは、知らなくても済むようなことが知らされ、 事実を証して欲しいと思っても、そのような望みは達成されなかったりしているのが現状です。 人それぞれに個性があり、趣味も違い、人生観も、世界観も違うのですから、 余り批判的に社会や人間の動きを見たりとらえたりすることは良くないかも知れませんが、 時々目に余る姿、耳を塞ぎたくなるような騒音に対して黙っているだけで自分のストレスになってしまうことさえあります。 皆さんはそんなことを感じた経験はありませんか?
 ある日、皆が静かにミサにあずかているとき、携帯電話のベルが聞こえました。 機械の力でいつどこでも話せる便利な時代になったわけですが、 その時間と空間にある意味で左右されない心の力はどうなっているか、しばし考えてしまいました。 電車の中でも同じようなことが起こっています。大きな声で話し続ける人に不機嫌な表情で時々目をやる乗客、 聞きたくもない話を聞かされるような思いで、 すっきりしない心理状態になって駅にやっとたどり着いたというのが真実のところではないでしょうか?
 もし、私たち皆が少しでも快適な生活がしたければ、 エチケットや礼儀と呼ばれることが基本的に自分以外の人に快さを贈ることだと認めて実行することではないでしょうか。 日本語で尊敬といえば余りにもかたくて使いずらい言葉ですが、 これもrespect(look again) という外国語の力を借りればもっと分かりやすいかも知れません。 偏見をもたずによく見ることがエチケットとともに人間の社会生活をより快適にするのではないかと思います。 一般的に生活が豊かになったとはいえ、世界経済の状況は悪化しています。 ここでもう一度物質的な豊かさに感謝し、人間の知恵を尊敬しながらも、目に見えない存在に対して、 心の限りない成長について文明の利器以上に大事にして関心を寄せているか反省している今日このごろです。 世界を発展させるのも、崩壊に導くのも私たちの生き方にかかっているのでしょう。

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