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チョットいいこと 70

奇蹟呼ぶメコン
デルタへ運ぶ「恵み」
インドシナ難民と大地震
ヨゼフ=ピタウさんへの手紙
天声人語
外国国籍生徒の公立高校入試
復活
こだま
チョットひとこと



奇跡呼ぶメコン

 メコン川がよみがえろうとしている。チベット高原の雪解け水を源流に、 広大なデルタとなってベトナム沖に注ぎ込むまで全長約四千四百キロ。 中国、ミャンマ−、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの六か国を流域に持つ世界有数の国際河川であり、 流域面積は日本国土の二倍を越える。
 にもかかわらず、列強の植民地化、日本軍の進駐、ベトナム戦争、 カンボジア内戦など流域を巻き込んだ分断と流血の歴史のために、 その豊富な水資源は、ほとんど手つかずのまま放置されてきた。 その「戦場の川」に今、流域諸国はもとより日本欧米が、アジアの「第二の経済奇跡」を起こそうと熱い視線を注いでいる。 多くの国際機関による開発計画がひしめき、今年、創設三十周年を迎え、 カンボジア、ラオス、ミャンマ−の加盟で拡大を画す東南アジア諸国連合(ASEAN)にとっては、明日を占うホットスポットになった。
 メコン川は長い道程の間、様々な顔を見せる。名前も中国では瀾滄江、 カンボジアではトンレトム(大いなる川)幾つもの支流がデルタを作るベトナムではク−ロン(九竜)と変わる。 同じ場所でも雨期と乾期では様相を一変させ、静かな海のようなデルタも、洪水で多くの命を奪う恐ろしい川になる。 人びとは、そんな川と時には折り合いをつけ、時には戦いを挑み、生活を築いてきた。 開発は確実にその生活を変える。メコン川に書かれる新しい物語が豊穣を約束するか、 再び破壊の道をたどるか、人間の知恵が試されている。(バンコク 原野喜一郎)
(読売新聞)


デルタへ運ぶ「恵み」
ベトナム編

 メコン川流域に暮らすのは決して楽ではない。養分豊かな土、カゴからあふれるほどの魚。 メコンは人びとに恵みをもらたすが、その見返りを求めるかのように必ず、キバをむく。戦乱の傷痕もまだ消えていない。 メコンとともに新しい生き方を目指して人びとが繰り広げるドラマを、まず豊穣のシンボル、メコンデルタから始めたい。  (ベトナム・アンザン省で  千葉文人)

  前触れは「泡」
 メコン川が枝分かれした数本の支流の周りに広がるベトナムのメコンデルタ。 昨年7月初め、デルタの一角、アンザン省に住む農業チャン・バン・ブックさん(54)は、 支流の一つのハウ川から引いた水路で、緑色の小さい泡が異常発生しているのに気付いた。 「大変だ。もうすぐ洪水が来る」同省の農民にとって水路での泡の大量発生は、洪水の前触れ。 ブックさんはこの時期になると、自分の水田わきの水路を毎日観察する。 科学的根拠はないが、「ずっと当たっているから、信頼できる」。
 間もなく地元気象予報局も洪水警報を呼びかけた。 例年より早めの同月中旬、ブックさんは、夏秋作のコメを刈り取り、洪水被害を避けることができた。 メコン川は毎年、雨期に大はんらんし、下流で低地のメコンデルタは洪水に襲われ、 大きな人的、物的損害をこうむる。民家や学校、道路、農産物などへの物的損害額は、ひどい年では一億五千万ドル以上。 死者は毎年百人をゆうに越える。その大半は子供たちで、親が目を離したすきに、増水した運河や水路に落ちるケ−スが多い。
 昨年10月、農業ト−・キム・クエンさん(45)の子供のうち一人娘のロアムちゃん(当時7歳)を亡くした。 ロアムちゃんは、自宅近くの屋外トイレと道路を結ぶ橋を渡る際、 足を滑らせ、増水した水路に転落したのだ。 橋は足場と手すり用に丸太を一本づつ渡しただけの「モンキ−・ブリッジ」で開発が遅れているデルタではあちこちで使われているものだ。
 自然と共生
 「小舟の修理に夢中になり、ロアムのことを忘れていた....」と言い、クエンさんは目頭を押さえた。 しかし、洪水は被害と同時に、世界有数の穀倉地帯のデルタに恩恵をもたらす。 害虫を一掃し、上流から養分豊かな土を運び込む。デルタは、世界第三位のコメ輸出国ベトナムの生産約二千六百万トンの半分を実らせる。 ブックさんの四ヘクタ−ルの水田の生産量は、夏秋作十八トンだが、洪水後の冬春作は二十六トン。 「洪水後は、少ない肥料でも稲が早く良く育つ」という。
 ブックさんらデルタ農民は、洪水の前兆に目を光らせて、洪水前にコメを収穫、 あとは水田をわざと洪水で冠水させる。農民は何百年も、そうしたメコンの自然のリズムと共生してきた。 政府も「被害を軽減すると同時に、恩恵を活用する戦略が必要」(ボ−・バン・キエト首相)として、 昨年、堤防を築かずに住民を救済する方策を打ち出した。 デルタの全人口約千六百万人のうち被災地の約六百万人を対象に、 家屋の床を上げるための資金を貸し付けたり、高台に集団移住させる。 政府が本腰を入れ始めたのは、最近デルタの洪水被害が深刻化しているからだ。
 以前ほぼ四年に一度の周期で大洪水に襲われたが、九四年からは三年連続して発 生。中でも昨年は二十年ぶりの大洪水に見舞われ、民家七十八万戸が浸水、 損壊するなど物的損害が約一億七千万ドル、死者も二百十七人(うち子供は百六十二人)にのぼった。 「最近は、川の水位が以前なら考えられないほど急激に上昇する」と 二十年間デルタの予報に携わるアンザン省予報局のブイ・タット・チャム局長(49)。 チャム局長は、「この現象は、気象変化に加え、ラオス、タイ、カンボジアなど上流国での森林伐採が原因だ」と断言し、 ダム開発に取り組むラオスや中国など上流域国との調整の必要を訴える。
(読売新聞)


インドシナ難民と大震災 (続き)
ハリ−・クワ−ドブリット

 そして祖国に残した家族の心配もあります。日本に長い間住んでいると、 祖国に家族を残していても、こちらで再婚することもあるのです。 子供たちを残している人もいて、再婚しても子供たちは呼びたいと希望するのです。 そして若い男性、高校生ぐらいの人たちが難民として脱出しました。 この人たちは日本で勉強して、日本で仕事をしてお金を貯め、 脱出の時にいろいろな人に借りたお金を返さななければならないのです。 そのようないろいろな意味においても、彼らのアイデンティティ−がどこにあるのかが問題なのです。 アイデンティティ−がない人になってしまったのです。
 もう一つには、キャンプ長期滞在の人たちのことがあります。 日本のキャンプは悪くなかったのですが、外国のキャンプは何十万人のキャンプがあり、 その中ではいろいろなことがあったのです。精神的な傷がおとなにも子供にものこっていることは確かです。 香港のキャンプなどでは、戦争といってもいいような大きな喧嘩がありました。 タイのキャンプから姫路定住センタ−にきたベトナム人が本当はカンボジア人だったということがあったのです。 彼らはベトナム国籍をとって他の国に行きやすくし、タイのキャンプに10年間住んで、そこで子供が生まれ、 その子供はキャンプの生活しか知らないわけですが、この人たちはキャンプで私などが想像できないほどの苦労をしてきているのです。 このような人たちの受けた傷は非常に深いと思います。いろいろなストレスによる精神病が起こるのです。 私は精神科医ではないのですが、いろいろ観察しますと、病気に罹っている人と思われる人は少なくありません。 ある人が「この人はおかしいでしょう」と言ったらそばにいた人が「いいえ、神父様私たちはみなおかしいですよ」と言うのです。 このような難民生生活をした人たちは、何かしら精神的に傷をうけているのです。 そこから犯罪が起こるのです。不正なパチンコや万引きを平気で行うようになるのです。 自動販売機からお金を盗むとか、今は麻薬に入り込みそれを商売にする人もいます。 盗んだものを売って、それを悪いと思わない人も結構多いのです。 その原因としては、アイデンティティ−・クライシスが考えられます。 今、神戸で裁判を行っているのですが、そのリ−ダ−は、子供の時、親とではなく、伯父、伯母に連れられて来たのです。 伯父、伯母が不正なパチンコをして生活しており、教育もないのですからこの子がこのような道に入るのは当たり前です。
 このようなハンディというものをもっている人たちが阪神大震災に出会ったわけです。 このハンディを乗り越え、経済的にも安定していた人たちは、この大震災にあい再びすべてを失いました。 ベトナムを出たときにすべてを失い、多くの借金をかかえ、それを返しかけた時に震災にあいすべてをまた失ったのです。 震災の次の日に30人ぐらいのグル−プが私の所へベトナムに帰るべきかどうか相談に来ました。 何のために日本に来ているのか、すべてを失ってはベトナムでも同じではないかと悩んでいたのです。 一番落ち着いていない人たち、その人たちは南ベトナムから脱出した人たちではなく、 8年前にハノイから香港経由で脱出した「経済難民」といえる人たちです。 彼らは日本に商売しに来ている人たちですが、「ベトナムに帰りたいので切符を買ってください」と定住センタ−を訪ねてきたのです。 他の難民はお互いに世話をしあいながら生活しているのに、 このグル−プはこれならベトナムに帰って、落ち着いたら、また日本に来るというのですから、無責任な感じがしました。 彼らは他の人たちを無視して、自分たちのことしか考えなかったのです。彼らは麻薬などを商売にしていたのでしょう。 そのような人たちもいました。ベトナムに一時的に帰った人たちがいたのです。 
 子供たちを考えますと、小、中学生は日本で生まれたか、ベトナム脱出の時赤ちゃんでこのような辛い経験については知らず、 これが初めての災害として体験した子がいます。私もベトナム難民にかかわっている人たちも子供を見ていると 「子供が一番元気だな」といってしまうのですが、彼らにも精神的な傷があるに違いないと思います。 それがどのような形かは私には分かりませんが、最初の災害にあいテント生活を体験し、 親の会社が倒産しているのですから、彼らにとって精神的な傷は大きいでしょう。 大人はこのようなことに慣れているといったらおかしいですが、ある私の知っている女性は、 震災後避難所の小学校にいたのですが「大変ですね」というと、 彼女は「大変ですけれど慣れてきました。キャンプの時もすべて乗り越えてきたのですから、また何とかなるでしょう」と言うのです。 大人はそのように考えます。子供は笑ったりするのですが、心の奥では傷を受けていると思います。
 ベトナム難民が震災のとき経験したことは、彼らの日本語が不十分であったためいろいろな震災の情報にアクセスしにくかったことです。 彼らはどのようにしたらよいかが分からなかったのです。義援金とか日本人さえ初めて聞く言葉の意味が分かるわけがありません。 私が覚えているのは、ある避難所の学校で彼らが「この学校は平気か」と聞くのです。 「まだ大きな地震がくる」というのです。余震があるという話を聞いて、また大きな地震がくると思っているわけです。 日本語が十分理解できないことが大きなハンディだったのです。
 そして差別については、ベトナム人は、他の外国人に比べ定住している人が多いため、あまりなかったようです。 話を聞きますと、学校で弁当が届いた時など「あなたさっきもらったではないか」といわれたり、 後回しにされたりしたとのことです。また、子供がうるさいと言われ、公園に行ってテントを張ったりもしたそうです。 学校を出てベトナム人同士で生活した方がやりやすかったそうです。彼らの目に見える日本は、自由の国ではないのです。 彼らはすべてが決まった共産圏の国から逃げてきたわけですが、日本も「すべてが決まっている」国なのです。 私たちにとっては便利ですが、彼らには自由がないのです。 例えば公園に小さな避難所があったのですが、川が流れていて、 木があり、その下にテントがあり、数家族が一緒に暮らしているわけです。 そして彼らは私に「神父、ここに住んではいけないのでしょうか」というのです。 「こんな所ではテントだし....」と言うと「ここはベトナムと同じです」と言うのです。 彼らはアパ−トよりこのようなコミュニティが必要なのです。 あるセンタ−にいたお爺さんがこの避難所に行くと非常に楽しいというのです。 日本においては災害ということがなければ、公園での生活などできません。 それが自由というなら日本には彼らのいう自由はありません。
 その意味で彼らは日本の社会に入りにくいと私は思いました。彼らは震災で精神的な傷を受けたのではないのです。 彼らは日本に来て差別を受けているのです。日本語ができないので雇って貰えないとか、 ベトナム人が住んでいるアパ−トの台所は臭いとか、学校でのいじめ、社会に受け入れられないということは、 震災の前からの経験です。震災の傷が治っても、彼らが望んでいるのは、日本社会からの理解です。 彼らは私たちより素朴な人たちですから、人から暖かい心を望んでいるのです。私たちはそれを失ったかも知れません。 日本で生活しようとしているが、日本の社会を知らないため、 この社会に溶け込むことのできない人たちに対して私たちは手を差し伸べなければいけないのです。 私の言いたいことはこのことです。

 「災害後の精神的医療をめぐって」シンボジウムから


ヨゼフ=ピタウ さんへの手紙
トリン・ホアン・アン・バオ・ラン

 私も、ヨゼフ・ピタウさんと同じ外国人です。わたしの友達は、同じ日本人であるようにしてくれます。 とても嬉しいです。前、こんなことがありました。私の妹が友達と遊んでいる時に、だれかに「日本から出ていけ」と言われたそうです。 それだけで日本にいるのがいやになってしまいました。でも友達と遊んでいたいです。 妹だけじゃなくて、私も言われました。「黒ずみ」って。 でも私は無視しました。中学生くらいの男の子だったからです。 すごくいやでした。言われた時、いつも思っていました。 「ちがう。生まれつきじゃない。海などに行って、日焼けしただけだもん」と思います。 授業中でも、先生が、「はだが、黒い人....」とか言う時もあります。そういう時もいやです。
 こんなふうに、はだの色などで、区別しないでほしいのです。 私も、日本人と同じ、日本で生まれて、日本で育ってきました。 どうせ、日本人が外国に行ったら、外国人じゃないか。おたがい、同じなのに、区別するのはやめてほしい。 みんなそんなことをされるのはだれだっていやだと思う。そんなこと言われてうれしい人はいないと思います。 そう考えて見ると、日本人と、外国人の区別はなくなるかもしれません。 一人が区別をなくすと、二人、三人とふえていくかもしれません。日本へのよい印象が少しでも残るかもしれません。 そう考えると、世界中の人々から区別や差別がなくなると、私は思う。
 ヨゼフ・ピタウさんも、私と妹のような思いがありますか。もし、あったとしたらどうしますか。 自分でかいけつしますか。自分でかいけたつできなかったらどうしますか。だれかに頼みますか。 私だったら、もし自分でかいけつできなかったら友達に頼むか、先生に言います。 これからも、一人一人が気をつけ、もしあったとしたら、みんなでたすけあったらいいなと思います。


天声人語

 日本から発信する国際通話には、年に何度かのピ−クがある。まずは正月。 国際電信電話(KDD)によると、年が明ける15分ほど前から始まって1〜2時間の間に殺到する。 相手は米国を中心に、広範囲だ。 ▼もうひとつの山は、クリスマスにやってくる。 25日は終日、米国のほか、フィリピンやペル−、ブラジルなどへの通話が目立つ。 日本で暮らす人がかなり多い国だ。祖国へ、受話器を握る姿が浮かぶ。 旧正月に突然増える中国への通話も、ふるさと電話がたくさんあるのだろう ▼先日、日本で暮らす外国人の、日本語スピ−チ大会が東京で開かれた。 ベトナム難民のゴ−・ホン・フックさんは、日本語を習い始めて1年半しかたたないが、 しっかりと話した「私たちは暮らしている社会と深くつながっていないと、心を狭くしてしまいます」 「言葉を覚えて話すことで、知らない人が知人になり、近所の人が親戚以上になれます。 そうなれば、日本の社会の中で、心を開いて楽しく生活し、第二のふるさとになると思います ▼国を出てから7年がたつ。日本には4年前に妻と来た。たくさんの人に生かされたと感じている。 だから、人の役にたちたいと、木工会社を辞めて、去年から教会の営繕の仕事に就いた。 給料は半分に減ったが、満足している▼自分から話しかけて、いじめを乗り越えた少年。 もの作りを教えて地域に溶け込む主婦。スピ−チ大会には私たちが恥ずかしくなるほど、 日本の社会と真剣に向き会う人の姿があった。いま日本には、136 万人の外国人登録者がいる ▼フックさんのクリスマス。祖国に両親たちがいる。電話は高いからこの4年間で2回だけかけた。 近況は手紙で友人に知らせ、順送りに伝えてもらう「だから、私のことわかるの、ず−っと後になる」。そういって笑った。
(朝日新聞)


外国国籍生徒の公立高校入試
教育者 「等しい受験機会を与えるべき」

 外国人労働者の増加につれ、日系人、ベトナム難民など日本語が不自由な外国籍の児童・生徒が増えるなか、 外国籍生徒に対する公立高校受験の入試制度が、自治体によって大きくちがうことが問題化しつつある。 「入試問題の漢字にルビをふる」「時間を延長する」などの"ハンディキャップ入試"を認めるケ−スがある一方、 こうした措置を一切取っていない自治体もあり、 教育関係者から日本語が十分でない子供にも等しい受験チャンスが与えられるべきではないか」という問題の声が上がっている。
 兵庫県姫路市に住む中学一年のダン・ゴック・ハン君(11)は三年前に、ベトナム難民として先に定住した父親の受け入れ家族として、来日。 小学五年に編入したが、初めての日本語にとまどい、五、六年の授業は理解できないままだった。 最近やっと、教師の話すことが理解できるようになり、数学や理科の授業なら、なんとかついていけるようになった。 しかし、国語や社会は、漢字や歴史的知識が必要なため、分かりにくい。 「高校に進学するのは無理だろうな」とハン君や家族は漠然と感じているという。
 ハン君のような生徒に対応して、「日本語の不自由な生徒も、できるだけ普通の高校生活が送れるように」と、 神奈川県教委は昭和63年から公立高校の入試要領の「引き揚げ者を保護する受験者についての配慮」を盛り込んだ。 日本国籍、外国籍を問わず滞在機関が短く、日本語が十分でない進学希望者に、 最大1,5 倍の試験時間延長?別室受験?漢字にルビを打つ−などの配慮を行い、 この制度を利用し毎年二〜三十人のベトナム難民、中国引き揚げ者子女らが受験。 高校進学後も、授業についていけない生徒に対して一年間の特別授業を行っている。
 では、近畿二府四県ではどうか。神奈川県のように一般学力検査の際にハンディキャップ入試の制度を設けているのは大阪府だけ。 1,3 倍の時間延長?辞書持ち込み?漢字にルビを打つ−の三点を認めている。
 しかし、兵庫県などは日本国籍の帰国子女を対象とした選抜入試は実施しているものの、 外国籍の生徒に対しては「入学後、卒業できるかどうかも入学試験のうちに」として特別な措置はない。 難民として来日したベトナム人生徒らは日本語がある程度できるようになってから再受験したり、定時制に進むケ−スが多い。 外国人児童・生徒の在籍数が一千三百九十六人(平成七年度文部省調査)と都道府県別でで最も多い愛知県も同様だ。
 文部省によると、日本語が不自由な中学生は全国で約三千三百五十人いるが、 高校生になると二百五十人と激減。国内の高校進学率は96,8%にのぼっており、 外国籍の多くが高校進学を断念していることが推測される。 長年、中学教育に携わってきた兵庫県在日外国人教育研究会議準備会の山口英雄(61)氏は「都道府県によって、 制度が違うのはやむを得ないことかもしれないが、子供たちの教育を受ける機会はなるべく広く認められるべき」と指摘。 日本語が不自由なまま、社会に出なければならない子供たちの将来を心配する声が、 在日外国人教育に携わる関係者から上がっている。
(産経新聞)


復活

 復活の日曜日は、毎年三月の終わりか、四月の前半にあたります。 主の復活を祝うために一番適当な時期です。ちょうどその頃、春がおとずれます。
 大自然に新しい生命が生まれるし、長い冬のあとに眠っていた生命が復活します。 毎年の繰り返しですから私たちにとって不思議なことではありませんが。 しかし、四季がない国の人はこのことに驚きます。 仁豊野でベトナムキャンプの始めの頃でした。 私がキャンプの通訳と一緒に散歩した時のことです。 春の陽射しに、いろいろな木に花が咲いたり、木々の芽も芽生えたりしていました。 他の木よりずっと後で芽生える柿の木のところに来ると、彼女は「この木は死んでいる」と私に言いました。 「この木はあとで新しい芽が現れる」とわたしが言うと、彼女は信じなかった。 数週間後のある朝、事務所に入ると彼女が興奮して「あの死んだ木が生き返った!」と私に言った。 やはり全然想像できないことを信じることはむずかしい。イエスの復活の時もそうでした。
 トマス、マリアマグダレナ、エマオの弟子も、イエスの復活を想像できなかった。 だから彼らは、イエスの死によって落ち込んだり、悲しんだりしました。しかし、あとの喜びは、いっそう深かった。
 先日、二歳未満の子供が火事で亡くなりました。非常に元気で明るい赤ちゃんでした。 夫婦にとって最初の子供でした。解剖のために死体を神戸の病院へ連れて行かれ、 二日後、お母さんのもとに小さな身体が帰った時、お母さんは泣きくずれて、 慰める方法がありませんでした。あくる日の通夜の後でお母さんが私に言いました。 「もう涙がありません」絶望の言葉よりも、これは彼女の信仰によって支えられらた言葉だと私は感じました。 復活の信仰によって、すでに彼女は哀しみを乗り越えました。 その夜、三人の小さい子供たちが、ハウ君の写真の前に立って、大人たちがしたように、彼らも、焼香しようとした。 亡くなった子供の従兄弟たちでした。私は彼らに教えた。どのように焼香したらよいかを....。
 それから彼らは熱心に手を合わせて、友達のために祈った。その時、一番大きな五歳の女の子が私に聞いた。 「ハウ君は、あの箱の中に入っていますか?」死体は全部包帯で巻かれていたから、姿を見ることができなかった。 だから私は「ハウくんは、天国にいる」と答えた。 彼女は、ちょっと分からない顔で私を見たので、質問に十分答えられなかったような感じがした。 そして神様は、咲いたばかりの花を摘みに来て天国へ持っていかれたことは事実でした。
 ハウ君のお父さんお母さんも同じ知識によって死の哀しみを乗り越えることができました。 今年の復活祭の前にハウ君の事があったから、私の復活への信仰は一層深くなりました。
(姫路教会ニュ−ス ハリ−神父)


こだま

 チョットいいこと69号ありがとうございました。黙想の家とか、あちこちに配布していますが、国際交流協会が一番早くなくなるようです。 それは多くの人に読まれているということだと感謝しております。 「一人の勇気が輪になった」。また、ハリ−神父様のお話し、その他胸を打たれるお話ばかりです。 編集の皆様ありがとうございました。

 お知らせ
 『ベトナムのこころ(しなやかさとしたたかさの秘密)株式会社 めこん』

 これは今回の私どものセミナ−で基調講演をなさってくださいました皆川一夫氏(外務省領事移住部外国人課 主席事務官)の著作です。 全国の有名書店に出ています。皆様のご講読期待しています。非常に興味深くスイスイ読んでしまいます。


チョットひとこと

 私たちは、数え切れない程の情報に囲まれながら、時の流れに押し流されていくような毎日を過ごしています。 知りたかったことが早く分かってよかったと思う時もあり、誤って伝えられた情報によって困った経験をすることもあります。 これらの情報は、やがて流され集積されて歴史を形成していきます。
 メコン川の雄大な流れは、紀元前から現在にいたるまで、そして未来へ向かって止まることを知らず、 沿岸の情報を吸収しては河底に歴史を刻みながら海に近づいていきます。 川は、多くの人々の愛情に溢れた幸福な充実した姿を見たり、人間同志の不幸な争いも見てきました。 人が水なしには生きられないことも川はきっとよく分かっていることでしょう。 天候によっては荒れ狂って恐ろしい姿となり、穏やかな平和の鏡のようにもなって、 一刻も同じ状態に止まっていない事が歴史の発展を象徴的に物語っています。

 地球上の小さな人間の世界では、あと4年で2001年を迎えるということでさまざまな文化的、宗教的その他の準備が行われています。 しかし、事前を破壊するようなこと、民族のちがいを意識し過ぎて人間の心が国境を越えられずにいることも一方においては現実の問題です。 人間は宇宙から見れば本当に小さな存在ですが、地球上に生かされている人間一人ひとりはあのメコン川のように広く深い心を持つ存在です。 川がその流域の数限りないできごとを知っているように、私たち一人ひとりも自分の歴史に加えて、その時代の多くの情報を知っています。 やがてそれらは取捨選択されて「時代」の意味を表わす歴史がつくられていきます。 昔の船旅を想いだしながら、兄弟姉妹の原点について考えてみました。
 聖書の詩篇作者は、存在についての素朴な驚きから始まって、大自然を観ながら 創造主である神様を単純に讃美しました。そして、人間はみなそのはからいの中に守られていることを示しています。 「神よ、あなたの思いはきわめがたく、そのすべてを知ることはできない。あなたのはからいは限りなく、 生涯わたしはその中に生きる。」(詩篇139. 17 〜 18) 神様あなたのすべてを知っておられます!

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