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チョットいいこと 53

あかつきの村の石川神父叙階25周年
一番大切な人
あかつきの村が神のことばの実現の場となりますように
中学生の頃
外国語学習熱アジアシフト
時のひと 俳優から演出家に
論点 ベトナム発展と日本の役割
ルポルタージュ ベトナム労働者讃歌 その1
あんなこと こんなこと
チョットひとこと



あかつきの村の石川神父叙階25周年

 群馬県前橋市のあかつきの村で、石川能也神父(浦和教区)の叙階25周年の感謝ミサが7月3日行われた。
 あかつきの村は16年前に開村。石川神父が浦和教区の土地を借り受け、精神的に 疲れてしまった人や受け入れ先のない人を「父が私のもとに遣わす人々を決して拒まない…」というイエズスの姿に倣って始めた。
 当日は気温が37度の暑さの中、岡田武夫司教、 長江恵司教、19人の司祭が遠くは淡路島、姫路から集まり、百人ほどのベトナム人をはじめベルー、 フィリピン、ケニア人などを含む約500人が参加した。
 ミサは松林の中にベトナムの人々がこのHのために築いた祭壇で、奉納にはパン とぷどう酒のほか日々の労働を表す空き缶(廃品回収)や衣料品(週3のバザーで売られている)、 宅配便の包みと送り状、物品を送ってくれた人々の住所録がささげられた。 祝賀全では近隣・県外の教会から手作り料理が寄せられ、喜びをともにした。
(カトリック新聞)


一番大切な人

 私が神学性の頃でした。聖書研究会に入って、創世記から始めて順々に読んでいました。 ちょうど、イザヤ53章を読んだ時でした。何か強い感動を受けました。 それは、すでに、私自身の中に古くからあった何ものかに共鳴した響きのようなものでした。 また、幼な友達に会ったような懐かしささえ感じました。 それは幼い日に目にした第二次大戦で傷ついた人、死んだ人の姿に似ていました。 リュックサックを背負って、さつま芋を買出しに来た都会の人の姿でもありました。 「聴け!わだつみのこえ」の映画でみた、南の国でマラリアにかかり部隊から捨てられて、 郷里の母を想いながらついに、手榴弾で自爆した美大生の姿であったりしました。
 このイザヤ53章の苦難のしもペはバピロンに難民のように国中の人々が連行された40年間に書かれたものと言われています。 この苦難のしもべは誰をさすのかはっきりしたことは分かりません。 しかし、異国の地で不安と絶望の経験がなければ書かれなかったのではないかと想像します。
 見るべく面影はなく
 輝かしい風格も、好ましい容姿もない
 彼は軽度され、人々に見捨てられ
 多くの痛みを負い、病を知っている
 彼は私たちに顔を隠し
 わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病
 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたちは思っていた
 神の手にかかり、打たれたから
 彼は苦しんでいるのだと。
 彼が刺し貫かれたのは
 わたしたちの背きのためであり
 彼が打ち砕かれたのは
 わたしたちの咎のためであった。
 彼の受けた懲らしめによって
 わたしたちに平和が与えられ
 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
 ‥‥‥‥(イザヤ53:2〜5)
 長い人類の歴史には、戦争や虐殺・略奪、独裁政治による迫害、その他、 言葉では表現できないような様々な苦難が印されています。 しかし、実はそれは神が学んだものであって、 人類の歴史はそのような多くの弱い貧しい人々の肩によって担われているということです。 頭の良い人や金持ち、政治家などはむしろ、 傷つけたり、破壊していることが多いといえるのではないでしょうか。 苦しんでいる人が一番大切にされる社会を作っていきたい。
(石川能也 師)


『あかつきの村』が神のことばの実現の場となりますように

 「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。 ホセアの書にも次のように述べられています。 「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。 『あなたたちは、わたしの民ではない』と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる」ローマ9:24〜26
 怠け者、プラブラしている者、汚い、何度言ってもわからない難民たち‥‥外国人‥等々‥‥。 私たちは、つい一般的な見方や、常識、生産性、能力で人を判断し裁いてしまう。 しかし、聖書では、差別や疎外に傷つき苦しんでいる人、病気の人々が私たちにとって大切な存在だというのです。 実際、具体的にこうした人々にかかわると、私の親切、善意、同情や憐れみのメッキはすぐはがされてしまい、 本物を求められ、辛く、苦しい思いをすることがしばしばです。
 実はこの人々こそ、現代の物質主義、経済優先社会のなかでの良心として、 私たちに、真の人間性(人間らしさ)を回復させ、又、あわれみの心、 優しさ、愛を引き出してくれる生きた神の子となるのだ、と呼びかけているのです。 私たちが何かをしてあげるのではなく、この人々こそ私たちを、生かし、豊かにしてくれるのです。 一喜一憂の毎日です。言葉や文化、習慣が違っても、この人々の喜び、 愛は私たちをちからづけ、高め、生きがいをも感じさせてくれます。
 私たち一人ひとりが、狭い見方を捨て、神様の注がれる憐れみのまなざしに視点を合わせ、 あかつきや自分の住む地域、家族の中で、弱く、傷つき、苦しむ人々とともに、 このみことばを生きた現実にしてゆきましょう。
T・M


中学生の頃

 彼はJRC(赤十字凶)の団長をやっていたんです。 下級生だった僕は、それを横目で眺めて「上(学校)から言われてやってるんじやないの」「かざりじゃないの」 と思ったことがあったんです。しかし、彼の生き方をずっと見てきたのですが「これが彼の本当の姿なのだな」 ということが分かってきました。中学の時やっていたことが実践されている、 あの中学校の時の姿は本物だったんだということが今分かるんです。

回収先で
 (蒸し熱い日の午後、回収先から帰ったばかりのTさんが話してくださいました)
 回収には2t車で行くのですが、東京は駐車場がないし、道路も狭いですから、 アパ←トの前に車を止めてしまうと渋滞してしまうんです。そんな時、一人が運転しながら、 もう一人は外から急いで、車の中に品物を投げ込むんです。 車は動いていますからね、ねらいを定めて投げ込みますが、外れることもあるわけです。 言葉が通じない時もありますから、そんな時は大変なんです。 運転手は、他の車の流れに沿って運転して、またぐるっと回って、もとの道に戻ってきて、 品物を積み込みます。何度も繰り返すので一軒の家の回収に一時間もかかることもありますよ。
 回収には助手を二人連れて行きます。僕が声をかけるのですが、 あかつきの村ににいるベトナムの青年たちは皆、行きたがりますし、行くのをとても楽しみにしているようです。 自分一人では出られないので、出て行くことによって先々のことが色々な刺激になるのです。 最初は「こんにちわ」の挨拶もできなかったのに、だんだん言えるようになり、手伝いも自分からできるようになっています。
 僕は、助手として、障害をもった人に優先して行ってもらいたいです。体調がよ ければ、どんどん外に出ていって欲しいと思います。 最後にあかつきの村としては、物だけを回収しているのではなく、 皆様の暖かいお気持ちを分けていただいているので、良い物でもそうでない物でも、多くても、 少なくても、たくさんの人々からお声をかけていただければと思っています‥‥。 回収から帰って来るときにはいつも、目に見えないもので車は満載になっています。
(暁風より)


外国語学習熱アジアシフト
おじさんもOLも、中国だ、ベトナムだ

 ビジネスチャンスを狙う企業や旅行好きOLの間で、アジア言語の学習熱が高まっている。 その一方で、すっかり日本語ブームが浸透したアメリカから求められている、 日本人教師派造への応募がさっばりで、「せっかくの文化交流のチャンスなのに」 と関係者はやきもき。語学学習も「世につれ」といったところー。
 「バブル時代の英語人気は下火になりました」というのは、 約50か国語を教える大学書林国際語アカデミー(東京・千代田区)の佐藤巨巨呂(こころ)理事長。 同校約1.500人の受講傾向は、5年前は欧米言語が55%だったが、 今ではアジア言語が54%と逆転した。
 特に、中国語とベトナム語に人気が朱まり、企業研修の人気も中国語が英語を抜いてトップ。 ベトナム語も11位に浮上してきた。相手国の経済の成長力が人気の理由で、 受講者の銀行員は「5月にベトナム支店がオープンするので」と意欲を見せる。 「商売するなら現地語で」とアジア語研修に力を入れる企業も増えた。 第一勧銀では、今年、中国語の研修社員を年間2人から6〜7人に増やし、 三井物産は作年度からベトナムに語学研修として年間2人を派遣している。
 ビジネスとは別に、アジアの文化に触発されて言葉を学び始める人も多い。 語学アカデミーの調査では、受講者のトップが「もっと旅行をエンジョイしたいから」 (43%)で「仕事の必要」(31%)を上回った。 アジア言語の教育機関の“老舗(しにせ)”であるアジア・アフリカ語学院(東京・三鷹)の受講生も最も多いのは20代のOL。 木村実季事務局長は「欧米とは異なる文化的刺激が女性の目に新鮮に映るようだ」と話している。
 一方、外務省によると、日本語を授業で扱うアメリカの高校は、4年前の調査でも通信教育も含め772校にのぼった。 小学校でも40校以上が取り入れ、年々増えている。各校とも自前で教師を確保する必要性に迫られ、 日本へ教師派遣を要請してくる。アメリカの小・中学校へのボランティアを派遣している国際交流団体「STEP」 (東京・阿佐ヶ谷)には、昨年で200校以上、今年に入ってからも常に50校以上が臼本人教師の受け入れを希望してきた。
 だが、今春派遣分の応募はたった30人。同団体は語学力や意欲を見ながら、何とか23人の派遣を決めた。 代表の川村美穂子さんは「日本人がめったに訪れない地区への派遣が多いので、 それなりの人材を出したい。もっと多くの参加を」と呼びかけている。 
(読売新聞)


時のひと 俳優から演出家に
ベトナム青年劇場を主宰するファム・チ・タインさん(52)

 心のきれいな娘がいた。父親をなくし、母親の再婚相手からはいじめられる。 それでも、内職で生計を助けた。体を売らねばならないこともあった。 純粋な美しさを求めて流浪する老画家と出会う。二人の心が通い合い人生の薄汚れた部分が浄化されて結晶となるー。
 ハノイの青年劇場でつい最近上演されたこの芝居がヒットした。 「人生はつらくて困難なものだけど、すべての人の中には純粋な心が宿っていることを描きたかった」
 元々は舞台俳優だった。「でも背が低くていっも子投ばかり器量もよくなかった」。で、 演出家に転身した。70年代、モスクワに演劇を学ぶため留学。帰ってきて劇団を作った。 シェークスピアの「ロメオとジユリエット」をベトナムに初めて紹介したというだけに、進取の精神にあふれている。
 ベトナムの演劇には悲劇と喜劇がミックスされたものが多い。 「それがこの国の舞台の伝統なんです」。 冒頭の悲劇の中にも適当にユーモアが配され観客からどっと笑い声が起きる。
 全国の150ほどの舞台のうち、半分以上の創設にかかわった。 今は、観客を引き付ける台本探しと、若手の俳優の演技指導に明け暮れる日々だ。 「自分の思想を観客に語りかけることが出来る。それがこの仕事のだいご味ですね」。 かつては国家予算の割り当ての中でしか仕事が出来なかったが、 最近は観客を増やすのも新しい芝居を作るのも、自分の裁量次第。充実している。
 「3年前には日本へも行って、歌舞伎と能を見てきました。 ベトナムの伝統演劇ともつながるところがあって、大いに参考になりました」 これまでに全国演劇祭で6回、金貨を受賞した。10月からの旧正月(テト)は、安部公房の作品を手がけている。
(ハノイ・林田裕章、写真も)


論点 ベトナム発展と日本の役割
湯下 博之 前註ベトナム大使

  私は、3年1か月にわたるベトナム勤務を終えて最近帰国した。  この3年間を振り返ってみると、1986年以来ベトナムが進めている「ドイモイ」(刷新)政策が次第に成果をあげたことや、 1991年10月のカンボジア平和合意成立のお陰で、ベトナムをめぐる内外の情勢は急速な進展が見られた。
 日本とベトナムとの関係も1992年の政府開発援助(0DA)再開や昨年3月のボー・バン・キエト・ベトナム首相の訪日等を経て、 従来の冷却した関係が一変し、新時代の幕開けを迎えることが出来たことは誠によろこばしい。
 しかしながら、現状は両国関係の大枠が出来た段階で、 今後具体化の階段に移って行くに際して十分に注意しないと後で取り返しのつかないことにもなりかねない問題点も出ている。
  例えば、今年2月の米国の対ベトナム禁輸措置の全面解除に先立って、 日本では「ベトナムは東南アジアに残された最後の魅力ある市場であり、米国の禁輸措置が解除されれば、 各国企業がベトナムに殺到し、草刈り場となるであろう」といった趣旨の報道がしばしばなされた。 現在でも経済を中心にそういうイメージが持たれているようである。
 実は、このような見方は極めてミスリーデイングであり、 将来のベトナムの経済開発計画策定にあたって有害である。
 ベトナムが魅力のある市場であることは事実であるが、「草刈り場」という表現はいただけない。 草刈り場というのは一方に利益が生じれば他方が損をするというゼロサムの発想であって、 皆が殺到して奪い合い、後には何も残らないといったイメージであると思う。
 ベトナム市場が魅力的なのはその将来性にあるのであって、今すでに花が咲き実がなっている訳ではない。 石油鉱区等一部の分野は別として、ベトナム一般についていえば、今奪い合ってみてもあまり得るものはないであろう。 腰を浮かせて殺到すれば、損をする方が多いかも知れない。
 他方、ベトナムの将来の可能性が豊かであることは間違いなく、七千万人の勤勉で識字率の高い国民、 石油、ホンゲイ炭、石灰石、鉄鉱石、水産物等の資源にも恵まれ、この4年間、世界有数のコメの輸出国の地位を保っている。
 地理的位置も東南アジア諸国連合(ASEAN)やアジアの振興工業国・地域群に囲まれ、 日本に近く、政治的安定性も高い、といった有利な諸条件を考えると、 発展しない方がおかしいくらいである。
 ベトナムというパイをうまくふくらませれば、どんどん大きくなり、 その効果はベトナムの枠を超えて東南アジア諸割こも広がり、ベトナムが豊かになるだけでなく、 その分け前にあずかるすべての者が得をするであろう。ベトナムは、ゼロサムどころかプラスサムの世界なのである。
 問題はどうやってベトナムというパイをうまくふくらませるかであるが、その答えは草刈り壕的発想ではあり得ない。 草刈り場的アプローチでは金の卵を産む鶏を殺してしまうような結果となるであろう。 従来の日本であれば、そういった問題は他国におまかせで、 他国が作ってくれた枠組みの中で専ら自分の商売に精を出していればよかった。 しかし、現在のベトナムにはそのような役割を果たしてくれる国はないのである。
 このような状況の中では、ベトナムに対する最大の援助国であるばかりでなく、 近い将来、ベトナムに対する最大の投資国になるであろう日本が、 率先してプラスサムのシナリオを実現するために働くことが必要になっており、 自然なことにもなつている。 日本が、国をあげて、広い視野と長期的展望に立って、 ベトナムというパイを大きくふくらませるための国際的な動きを実現させるため、 幹事役を引き受ける心構えで臨めば、将来にわたって得るところも多く、 しかも国際的評価も得られるであろう。
 他方、単こ自分のことだけを考えたり、日本とベトナムの2国のことだけを考えていたのでは、 その他の国から批判や摩擦を招いて苫労も多くなる。ベトナムというパイが十分にふくらまない結果、 得るところもなくなって、長い目で見て後悔することになろう。
 何年かたってそのことが分かっても、もう遅いと思う。日本人が、今そのことに気付いて、 従来の発想や行動パターンを脱し、国際的にも評価されるイニシアチブを発揮出来れば、 単にベトナムについてのみならず、21世紀のアジア・太平洋地域内の日本の立場も安泰であると思う。
 日本が今、ヘトナムにどういう取り組み方をするかは、日本にとっての大きな試金石であるように思えてならない。
(読売新聞)


ルポルタージュ ベトナム労働者讃歌 その1

 H小学校には19人のベトナム児童が学んでいる。 私は日頃からベトナム人の方々や労働や生活、さらに考えなどに興味をもっていた。 そこで、姫路定住促進センターの名誉所長をされているA神父さんと、 難民相談員の方の協力でH町に住んでいるベトナム人の家庭を訪問し、いろいろ話を聞くことができた。

皮革工場で働く
 姫路定住促進センターを修了したインドシナ難民は最初いろいろな仕事についているが、 何年かたつと皮革の仕事に変わり、現在7割近くになるのではないか推測される。 皮革の会社では、天引きが少なく、給料は働いただけそのまま支給されるところが多い。 また規則が少ない。そのことがベトナム人の気質に合っているといえる。 経営者にしても、現在、労働者不足に悩んでいるので、ベトナム人を喜んで受け入れるようになる。 皮革の工場の多いT地区は、昔から在日韓国・朝鮮人、そして九州炭鉱離職者の人たちがたくさん働いていた。 T地区には開放的で人なっつこく、人情の厚い気風があるからだと言う人もいる。
 ではベトナム人は皮革会社にうまく勤められるかというと、そうともいえない。 皮革会社に勤めるベトナム人は男も女も、一様に「重たい、つらい。」と、言っている。 しかし、それ以上に問題なのは人間関係のもつれである。M皮革に勤めるFさんの奥さんからは、 一般的にもめごとの原因になることがらを聞き出せた。奥さんの勤める皮革工場の日本人労働者はかなり高齢である。 ところがベトナム人は30代でみな若い。当然、仕事が速くたくさんできる。 そのため、かえって仕事のだんどりがくい逢うことがあるらしい。 なんとなしに仕事場の雰囲気が感じられたので私は、「仕事を合わせる必要がありますね」と言うと、 奥さんは大きくうなずいて「そう!合わせる。合わせる。」と強い口調で言われた。
社長さんの夢現実に
 S皮革に勤めるTさんは、最初からずっと同じ職場で働いて約10年になる。 「暑い、暑い。けど自分でがんばった」と言う。S皮革の社長さんから話を聞くと、 Tさんは工場長で、仕事のだんどりはもちろん、労働者の雇用からその生活に至るまで一切任しているとのことであった。 朝5時から仕事に入り、だいたい2時ごろに終わる。 この勤務時間が実に面白く、自分の仕事が済めば休憩してもよいし、 帰ってもよい。自分の責任範囲がはっきりしており、その責任が果たせなければ、果たすまで残らなければならない。 仕事が早く終われば、他の会社でアルバイトするのも自由である。 また、昼は会社の費用で給食をとり、社長さんも従業員も、同じ物を食べる。 このユニークな経営は、社長さんの「勤務の時間を目標とするのではなく、仕事の能率を目標とする」考え方に基づいている。 もちろん品質については、工場長であるTさんが厳しくチェックしている。 また、アルジェリアから来た青年を雇い、納屋を改造して住めるようにするというような親身の世話もやく。 アパートには外国人労働者はなかなか入てもらえないからである。 S社長さんは、いつも「外国人だといって差をつけない。彼らの気持ちになってものごとを考える」ように自分に言いきかせておられる。 そのようなS社長さんを外国人労働者たちは「お兄さん。」と呼んでいる。


あんなこと こんなこと

 いたずらばかりする弟
 わたしの弟は、いたずらばかりします。たとえば、わたしが弟のなきまねをしてだっこするとぶってきます。 ぎもんにおもったことは、キーボードのこっけんの所をとったのですごい力だなぁと思いました。 とけいも、まえにこわしたので同じことをかんがえました。 お父さんと、お母さんにきいたことは、お母さんが弟のおかゆをたべさせるとき、お母さんは弟におもちゃとかわたします。 弟はおかゆのなかに入れたりします。
 昔と今のちがいは、昔はかみの毛がすくなっかたけど、今はかみの毛がたくさんあるからいいなと思った。 昔は、いたずらじゃなかったけど、今はいたずらでとても大変です。 思ったことは、今、弟がちいさいからかわいいかもしれないけど、 もし弟が大きくなって、にくたらしくなるから大きくならなくてもいいと思った。 弟がうまれたときずっと弟がお母さんのほうに、くっついているからかまってもらえなかった。 まい日、弟がなんかを一つおぼえるからすごいと思った。弟とけんかするとき、お母んが弟のみかたになるからずるいなあと思った。
  ファム・ティエン 小学3年

 わたしにとって大学とは
 私は、日本にきて5年。現在都立高校3年に在学中です。将来のことを考えなければならないときにきました。 私はできれば大学に進学したいと希望しています。
 現在の日本は、一般的に大学に進学する人が増えてきて、その結果、受験競争が厳しくなり、 不合格になる確率も高くなってきています。それでも、人々は浪人してまで大学に入ろうとしています。 なぜでしょう。そこで、自分にとって何を得ることが出来るのでしょうか。 この頃、大学生はサークルなどに入って遊ぷことが多く、アルバイトに夢中で、自己中心‥‥などと世間でよく言われています。 が、本当は世間の大学生にどんなことを要求しているのでしょうか。私にとって大学は、 単なる専門知識や技術を身につける場所だけではなく、そこでいろいろな人と知り合い、友情をめざめさせ、 人間関係を通して自分の生き方をよりよくするように磨き、無駄なく4年間という月日を大切に過ごす事を心がけようと思います。
  ミン・タム


チョットひとこと

 人と人との出会いは具体的で現実的なことである。センチメンタルなことでも抽象的な理念のことではない。 日々日常的にあることの中で人と人とが出会うことである。この「チョットいいこと」では、人の具体的発見がある。 これを大切にして、私たちの日常的な人との出会いが、より深められるといいと思う。

 外国人というと日常的には知らない人、「異邦人」であり、自分たちの生活に閉じこもると、見えない人である。 時には見えるようであっても、出会うことのできない人だと思いこむ。 言葉も違い、風俗習慣が違う人で、自分たちの世界の外の人であり、自分たちの仲間でない人である。

 しかし、現代社会において、自分たちの世界というものが拡げられて、 多くの自分たちの世界の外の人たちが自分たちの世界を防御するためにその人々を排除するか、 より豊かな自分を育てるためにその人々を受け入れるかである。 時には、外の人々をいつまでも、『お客様』として、一見大切に扱うか、 いつまでも『お客様』として自分たちの世界に入れずに、『外人(よそびと)』とする。 私たちは、外国人に対してだけでなく自分たちの仲間であると思う人々の中から『外国人』にしてしまうエゴイズムがある。

 この国際社会において、人間の成熟と幸せのためのこの出会いは不可避のものであるべきことを知るべきである。 そして、すべての人々が私たちの仲間であり、他者であることを知って、共にメンバーとして『神の国』を求めるのである。
 神は私たちにとって絶対的他者として、人となって(私たちの仲間として)私たちのもとにこ来られたことを思い出そう。 彼によって、私たちは自分の価値を発見し、共に生きる実現を見つけた。
 難民と呼ばれた人々が、今私たちの仲間であることを自覚しよう。
(K)

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